ひとりごと

2005年6月

05/06/27(月) 浄化槽の大掃除 
 例年の大仕事の一つに池の浄化槽の大掃除がある。今日は暑かったので、夫と二人でその大掃除をした。我が家の池の浄化槽は縦1.8m×横1.4m×深さ1.3mぐらいの大きさのコンクリート製だ。その中に化学繊維が絡み合ったような浄化用の板が20枚ぐらい入っている。その板は畳1枚ぐらいの大きさで厚さが5センチぐらいである。古いものはかなりボロボロになっているので、泥がついたものを引き上げるのはちょっと厄介だ。きれいなものは4、5枚しかないので、本当は全て新しくしたいのだが、1枚1万円近くするので、来年にしよう、来年こそと言いつついまだに買えないでいる。
 浄化槽の中は結構ヘドロがたまっている。板についたヘドロに水をかけて流す。そしてきれいになったものを浄化槽の外に出し、一枚ずつ洗っていくのだ。二人でシャワーを使っているので、ちょっとした具合で相手に水を引っ掛けてしまったりする。そうしているうちにお互い洋服がびしょぬれになるのだ。だから今日のように暑い日でないとできないのである。
 昨年は息子が手伝ってくれたのだが、どうした具合か終わったあと体中に発疹が出て、痒くてたまらないという状態になってしまい、医者に行く羽目になったので、今年は絶対手伝わないと言われてしまった。それで仕方なく二人でやった。そうしたら今年は私に発疹が出た。小さい赤いポツポツがいくつかできて痒いのだ。いそいで服の上から水をかけて流す。それで大分かゆみがなくなった。今までこんなことは一度も無かったのに、水が変化したのか、水の中に何かアレルギー物質が入ったのかわからないが、去年から何か変だ。
 午前中いっぱいかかって掃除が終わる。シャワーを浴びて一休み。一つ大仕事を終わらせたのでいい気分だ。



05/06/25(土) ヨシキリの鳴く道 
 水の入った休耕田
 ギョ・ギョ・ギョギョシ・ギョギョシ・ギョギョシ・シ・シ・シ・ギョギョシシ・ギョギョシシ・・・毎朝犬と散歩する農道に面して水の入った休耕田があるが、その向こうに葦がかたまって生えている場所があって、休耕田の前を通ると毎朝聞こえるのがこのにぎやかな声である。オオヨシキリだろうか。姿は見えないのだが、毎朝元気にさえずっている。ヨシキリのことを行々子とも言うのは、まさしくこの鳴き声から来ているのだろう。

 時にはこの水溜りに白鷺や白鷺より一回り小さくて羽がやや灰色がかった水鳥が来て餌をついばんでいる。また、鴨と思しき水鳥も時々数羽やってきている。休耕田になって池のように水が入ってから水鳥が来るようになったようだ。
 
 私が子どもの頃はこのあたりは一面の水田だったが、鴨の姿は見たことが無かった。いつごろから鴨が来るようになったのだろうか。無農薬の米を作る為に合鴨農法をしている人がいるようなので、それが始まったころから来るようになったのだろうか。ただ、昔も白鷺だけは群れをなしていたのを覚えている。

 水鳥がいて、ヨシキリの鳴き声が聞こえる道を散歩するのは気持ちがいい。たった一枚の田んぼでも池のようになるとこんなに自然が戻ってくるのだ。



05/06/21(火) 潮来あやめまつり
 
 今、潮来あやめまつりの最中である。この地に住んで60年近くなるというのに、今までこの時期に潮来に行ったことがなかった。あやめを見に行ってみようということになって夫と二人で出かける。潮来までは車で1時間ちょっとの道のりだ。臨時の駐車場に車を入れて、12橋めぐりの観光船に乗る。潮来12橋めぐりというと竿で漕ぐ舟に娘船頭さんというイメージだが、この舟はエンジン付きの舟で、船頭さんは麻生からアルバイトに来ていると言う年配のおじさんだった。彼は普段は霞ヶ浦の漁師だそうだ。鯉やフナ、天然ウナギなどをとっているとのこと。そのおじさん船頭さんの案内で、12橋を巡る。この前川の12橋めぐりは古くからあったものではないそうだが、今では最も賑っているようだ。娘船頭さんの艪漕ぎの舟にもすれ違った。日曜日には結婚式があり、花嫁さんを舟で送るそうだ。その時は黒山の人だかりで、潮来花嫁さんにはいっせいにカメラが向けられるとのことである。今度の日曜日にも舟の花嫁さんが見られる予定だと言っていた。あやめ・かきつばた・花菖蒲をまとめて「あやめ」と言っているそうだが、今咲いているのは花菖蒲で、色々な色の花があった。おじさん船頭さん曰く「今が見ごろだよ。ここ二、三日一番きれいだろうな。」と。 咲き終わった花を取り除いたり、草をとったり、これだけの花の世話をするのは大変そうだと思ったが、高齢者が元気に働いている姿が印象に残った。船頭さん、駐車場がかり、みやげ物売り、舟の切符売りなどなど。70代ぐらいの方がみな元気に働いているのはいいものだと思った。花の世話をする人にも年配者が多いのではないだろうか。

娘船頭さんの舟 花菖蒲 前川あやめ園にて




05/06/18(土) 戦争の傷跡 
 今夜のNHKスペシャルで沖縄戦の残したものについてのリポートが放映された。チビチリガマでの集団自決で5歳の息子さんを亡くされた方の証言。今までずっと黙してきたが、今証言して残しておかないと沖縄戦の事実が消えてしまうという説得を受けて、読谷村の村史編集委員会に自分の体験を話したという。60年前のことだが数日前のことのように心に強く残っていると言っておられた。それほど深く傷ついておられるのだ。何年たっても決して消えることの無い深い傷を残してしまう戦争の恐ろしさを感じた。

 もう一人の女性は、終戦時4歳だったそうだが、父親を日本軍に殺された人だった。読谷村の人たちは上陸した米兵に苦しめられたが、その後食料などを分け与えられた。それを見た日本軍は読谷村の人々をスパイとして殺戮したのだ。父を殺され自分も焼夷弾を受けて全身血まみれになったそうだ。父の死後母親は精神に異常をきたして亡くなった。当時8歳の兄は全てを見て覚えていた。そして彼女が20歳になったとき全てを話してくれたそうである。話したあと兄も精神に異常をきたし、今も療養を続けているとのことだ。戦後60年と一口に言うけれど、この兄妹の60年はどんなであったろうか。その苦しみは私などには想像もつかないものだろうと思う。日本軍に傷つけられた女の子を覚えていると言う人と、前述の女性が60年ぶりに再会する場面があった。この女性にとって初めて沖縄戦のことを心おきなく話すことができた瞬間である。
 戦争とはこういうものなのだろう。その時の苦しみは勿論だが、その後何十年も癒されない傷に苦しみ続ける人々がいるのだ。

 憲法9条はこうした犠牲の上に成り立ったものであるから、なんとしても守りぬきたい。



05/06/13(月) 「フン害」いまだ消えず 
 先日お墓の階段をのぼったところに生えていた木を庭師さんに切ってもらった。その時庭師さんがビックリして、「あれはすごい!、糞がたくさんあるから草も生えないよ。肥やしが強すぎると草も生えないんですよ。」と言っていた。以前このHPでも書いた問題だが、我が家のお墓の敷地内に生えている木の下に、たくさんの動物の糞が捨てられているのだ。最近見に行っていなかったので、どのくらいたまっているか分からなかった。久しぶりに今朝行ってみると相当な量の糞が捨ててある。形から見て小型犬のものだと思う。よくまぁ他人のお墓に糞など捨てることよと呆れてしまう。片付けるのはこれで四度目である。今日は10ℓ入りのバケツに半分ほどの量だった。
 一体誰があんなところに捨てるのだろう。我が家に恨みのある人がいるのだろうか。人に恨まれるようなことをした覚えは無いのだが・・・・。近所の方が「何かの証拠になるかもしれないから、とりあえず写真は撮っておいたほうがいいよ。」と言うので、写真を撮ってみる。



05/06/11(土) 22222は?

 HPのトップに付けているカウンターの22222をゲットされた方に粗品を進呈しようと思ったのだが、どなたも名乗り出てくださらない。前回もそうだった。どうせたいしたものではないと思ってのことだろうか。まあ、確かにたいしたものは差し上げられないのだが、どなたが見てくださったのか知りたいのである。ご自分が22222をゲットされたと言う方は是非申し出てください。



05/06/08(水) ワールドカップ出場決定! 
 ほんの少し前、サッカー日本代表チームが遂にワールドカップ出場を決めた。柳沢と大黒のゴールで、2対0で北朝鮮を破ったのだ。場外で応援していた多数のサポーターもさぞ嬉しかったろう。会場に入れないのにタイまで出向いた甲斐があろうというものだ。おめでとう日本代表チーム。
 北朝鮮チームは1勝もできなくて辛いだろう。国に帰って、日本に負けたことを国民から非難されるのだろうか、ちょっと心配だ。



05/06/05(日) クラス会  
 昨日のことだ。9年ぶりに小学校のクラス会があった。今まではだいたい5年ごとに行ってきたが、今回は諸事情により遅れたとのこと。卒業時39名(男子25名女子14名)だった同級生は、現在35名となってしまった。昨日集まったのはそのうちの22名。時々顔を合わせる人もいるが、もう何十年も会っていない人もおり、中にはは40年ぶりだと言っている人もいた。当然のことながら、みんなオジサン・オバサンになっている。先生も二人出席してくださった。お元気そうであった。
 今年は60歳になる年で、多くの男性たちは定年を迎える話で持ちきりだった。既に定年を迎えた人も居り、年金の話、孫の話などなど賑やかである。「まりちゃん、孫は?」と聞かれるが、私はまだまだ。第一結婚が遅かったし、子どももまだ半人前だ。「孫はかわいいって聞くけど、本当にかわいいもんだよ」としみじみ言っているオジイチャンもいた。
 しばらく宴会が続き、二次会はカラオケへ。皆なかなか上手である。私はカラオケぜんぜんダメ人間なので、手拍子を打ったり身体をゆすって音楽にあわせたりするのみである。お酒も大分入って、足元が危ない人も現れた。終わりごろには雨も降ってきたが、三次会に繰り出す人もいた。私たち女性軍は二次会で終了。次回は私を含む4人が幹事となる。これからは5年など長すぎるから、2、3年毎にやろうという話になった。