
2006年 8月
06/08/31(木) 世界報道写真50周年記念展2006 東京都写真美術館で開催されている「世界報道写真展2006」を友人と二人で見に行った。今回は50周年記念ということで、「絶望と希望の半世紀」と題し、1955年からの作品が展示されていた。まさしく私と同時代の写真展である。私の少女期から現在までの様々な事件や世相を映す写真に、ああ、あのときは・・・・と回想しながら見て回った。 全体を見て、この半世紀はまさしく戦争の半世紀という感じだった。絶望が希望を上回っているように思えた。ベトナム戦争の写真、イラク戦争、アフガン戦争の写真、そして南北の貧富の差を現す写真も多く見られた。南米の炭鉱で働く男達の写真はまるで地獄絵のようだったが、これがそんなに古い時代の話ではないことにショックを受けた。飢餓の中で立ち尽くす少年はまるで枯れ木のように痩せ細っていた。インドのスラム街での売春婦と男の写真もあった。よくあれほどの場面を写すことができたと思う。女達と親しくなって写させてもらったというような解説が書かれていたが。 浅沼稲二郎の暗殺場面もあった。あれは大変ショッキングな事件だった。17歳の少年の犯行だったが、彼をあそこまで洗脳した大人がいたのだと思うと、今の自爆テロと変わらないという気がした。 希望の写真はというと、東京オリンピックの写真などがあったが、そんなに多くはなかったように感じた。報道写真というとどうしても事件性が優位になってしまうからかもしれない。 一番印象に残った写真は、10歳ぐらいの一人の少年の顔写真だ。その目は悲しみと苦しみに満ちていた。その目が展示物を見る私たちをじっと睨んでいる。戦争で家をなくし、家族を亡くした少年だろうか、その写真を正視することができなかったので、解説も読み損ねてしまい、逃げるようにその場を立ち去ってしまった。いまでもあの目にじっと見つめられているような気がする。 06/08/25(金) 診察 昨夜の件で、牛久の愛和病院に行く。皮膚科で診察していただいてアレルギーの検査をする。海老と蟹のアレルギー検査である。以前から蟹アレルギーは自分で分かっていたのだが、海老については今まで一度もアレルギー反応が出たことは無い。昨夜の注射と薬のお陰で症状はすっかり治まっているが、薬は一週間ほど処方された。一週間後に検査の結果が出る。海老もアレルギーだったら天ぷらそばも海老の入った掻き揚げも食べられなくなる。ちょっと寂しい気がする。 06/08/24(木) 学位取得のお祝い 以前から交流している中国人留学生の鄭さんが、この度めでたく学位を取得されたので、我が家でお祝いをする。ふじしろ図書館の催し物(世界のことばで絵本を楽しむ会)で中国語の絵本を読んでいただいた関係から、おはなしこすずめの会の田島さんもお誘いして楽しいひと時を過ごした。お寿司を取ろうとしたのだが、あいにくお休みだったので、私が散らし寿司をつくる。まずまずの出来だった。そのほか天ぷら、茶碗蒸しなど。田島さんは多くの留学生が好むということでキンピラゴボウを作って下さった。結構辛くて留学生向きの味に出来ていたので、鄭さんも喜んで食べていた。 お酒を飲みながらいろいろな話をする。鄭さんの故郷の話、少数民族の話、民族と宗教の話、大学の査定の話などなど・・・・。中国には56の少数民族が暮らしているが、民族間の対立はあまり無く、民族差別も殆ど無いということを聞いた。ユーゴスラビアでは民族対立から国が分裂してしまったのに、中国ではそのようなことにはならないらしい。モンゴル帝国が中国を治めたとき、漢民族を初めとする多くの民族にかなりの自由を与えてうまく国を治めた伝統が、今に影響しているのではないかと言っておられた。清朝400年の間も各民族の独立性を相当に認めて統治したのだそうだ。 中国の大学は日本の大学より厳しいという話もあった。3年か4年に一度、大学としての資格があるかどうかの査定があるのだそうだ。彼の勤務する大学も今年査定を受けるとか。もし大学として認められないと専門学校に格下げになってしまうのだそうだ。日本では一度文科省が大学として認定すれば専門学校に格下げになるなどということは聞いたことが無い。教授たちも査定を受けて、教授の資格が無いと認定されれば助教授になってしまうのだそうだ。従って格下げにならないよう、教授たちもしっかり研究に励むと言っておられた。このような厳しさもいいのかもしれないと思う。特に医者についてはある一定の年月を経るたびに再認定をするシステムがあったら良いのではないかと思った。 飲んで、食べて、おおいにしゃべって・・・・ 鄭さんが帰るまでは本当に楽しい時間だった・・・・・。 しかしそれからが大変。12時ごろ床に着いたのだが、急に体中が痒くなってきた。あちこちボリボリ掻いていたが、そのうちに体中がボツボツしてきてジンマシン状態になった。その上、声が殆どでなくなってしまったのだ。唇や顔もむくんでくる。気管支にもこんなむくみがきたら呼吸困難になってしまうのではないかと恐ろしくなる。しばらく考えて夜間救急に行って見ることにした。しかし、いくら電話をしても協同病院は電話に出なかった。仕方がないので牛久の愛和病院に行くことにする。下の息子に乗せて行ってもらった。病院ではとても親切にしていただいた。海老のアレルギーかもしれないということで、注射をしていただいて薬をもらって帰る。結局この夜は一睡もできずに過ごした。 06/08/15(火) かもさんおとおり 昨日の朝ロンの散歩のとき、私たちの目の前の田んぼ道を4羽のカモが横切った、1羽だけ少し大きかったので、それがお母さんで、あとからついて行ったのが子ども達かなと思った。よく見ようと思ったら、すぐに稲の中にもぐってしまって、すっかり見えなくなっていた。それでも朝自然の中で鳥に出会うのは何だか心が弾む。 そして今朝、またまたカモたちに出会った。どうやら昨日の家族のようだ。1羽の大きいカモの後から少し小さいのが3羽ついていく。私たちの目の前2,30メートルのところを横切ったのだ。今日こそよく見てやろうと思って、急ぎ足で行ってみると、いるいる・・・・。幅1メートルぐらいの水路の中を4羽ですいすい泳いでいた。すべるように下っていく。「ロン、かもさんだよ、かもさんおとおりだ。」と言ってみたが、ロンは全く知らんふり。一人でカモたちが泳いで行くのをしばらく眺めていた。今朝も嬉しい一日の始まりだ。 家に帰ってネットで調べてみる。羽の色からみてカモの種類はカルガモのようだった。 06/08/13(日) お盆参り 今日からお盆である。朝から仏壇の飾り付けをした。ほおづきを取ってきて、ヒバの葉と交互に糸につるす。赤と緑のコントラストがなかなかきれいなのだが、今年はほおづきの出来が悪く、ちょっと残念である。お供物は我が家の畑のものを中心にする。以前はご近所から稲の穂をもらってきて備えたりしていたが、今は自分の家のものを中心にすることにしたので、稲穂は無い。サツマイモ、ナス、キュウリ、トマト、トウモロコシを供える。畑のものと言いながらサツマイモとトウモロコシはスーパーで買ってしまった。ナス、キュウリ、トマトだけではあまりにも寂しいので。3時ごろお坊さんが来てくれたので拝んでもらって、そのあとお墓にお参りする。我が家のお墓は家の近くにある個人のものと東観団地の中にある共同墓地のものと二つである。家の近くには先祖代々のお墓があり、養父母のもそこにある。東観の中には叔父夫婦と父(実父)のお墓がある。まず家の近くのお墓にお参りした。ここには先祖代々、多分10代ぐらい前からのお骨が埋まっている。私が中学生のときに亡くなった祖母・私の養父母は一番左端の横長の墓石の下に埋葬されている。そのほか4つの墓石があり、中には江戸時代の墓石もあって、文字も読めない状態になっている。この墓地の隅には一昨年の12月に18歳で死んだ愛犬のロロも埋められている。そのロロの墓にも線香を供えた。 それから車で東観団地内の共同墓地に向かう。叔父夫婦のお墓と父のお墓にお参りしてから、本家のお墓や親戚、父の友人のお墓にもお参りする。以前は暗くなってから提灯をつけてお墓に行ったものだが、今日はまだ明るいうちにお参りしてしまった。最近は他の人も早くお参りする人が多い。子どもたちが浴衣を着て提灯を下げてお墓参りするのも風情があって良かったのだが・・・・。 夜になってご近所の新盆の家にお参りに行く。この方は私が小さい頃よく我が家の畑などを手伝いに来てくれて私を可愛がってくれた小母ちゃんである。去年85歳ぐらいで亡くなった。ひとしきり小母ちゃんの思い出話などをする。小母ちゃんらしいとてもステキな写真が飾ってあった。 06/08/05(土) 梅干大尽 ![]() 長かった梅雨も明けて毎日暑い日が続いている。梅干つくりに最適の日々である。我が家では今年梅が大豊作で、75キロぐらいの収穫があった。そのうち小さいものや、ちょっと傷のあるものなどは梅ジュースにした。また近所の人で梅のほしい人におすそ分けしたりして、残り57キロを梅干に。いつもの年の倍近い量である。漬け込む甕が足りないので、一昨日ホームセンターに行って密閉ビンをいくつも買ってきた。昨日、塩漬けにした梅をザルに並べて干した。梅干専用の竹製の大ザル9枚にならべてもまだ足りないので、プラスチック製のザルなどをもってきてそれにも並べる。 今年の梅は大きくて、とてもきれいなものが多い。きっと立派な梅干になるに違いない。夕方梅をひとつひとつ裏返した。蚊に食われながらの作業である。どれを裏返したのか分からなくなったりしながら、それでもやっと作業を終える。出来かけの梅干の独特の香がする。皮の破れた一粒を食べてみると、相当酸っぱい。が、さわやかな味だ。我が家の梅干は昔ながらの漬け方で、塩と赤紫蘇のみで漬ける。今風のハチミツ味やかつお風味などは我が家の好みではないので、昔風を通している。漬け込んで半年から1年ぐらい経つと、塩が馴染んでおいしくなるので、それを待つのも楽しい。 我が家には以前に漬けた梅干が大きな甕に半分ぐらい残っているので、今年のを入れると相当な量になり、梅干大尽である。 06/08/01(火) 痛ましい事故 昨日の午後埼玉県ふじみ野市の市営プールで小学2年生の戸丸瑛梨香ちゃんが吸水口に引き込まれて亡くなったのだ。何と言う痛ましいことか。吸水口には人が吸い込まれないよう柵を設け、ボルトで止めることが義務付けられていたというが、このプールの場合ボルト止めでなく針金で留めてあったというのだ。どうしてその針金が外れたのかまだ検証中だが、厳重の上にも厳重にしなければならない安全策をおろそかにしていたと言われても致し方あるまい。さっきテレビのニュースで、この事故を受けて全国各地でプールの点検が行なわれたと言っていたが、吸水口の状態を目視して点検したとのことだった。目視で大丈夫なのだろうか、水に入って、柵をゆすってみるなどの丁寧な点検が必要なのでは無いだろうか。取手市のホームページには各小中学校とグリーンスポーツセンターのプールを点検したが異常は無かったと書かれていた。どのように点検したのだろう。明日にでも問い合わせてみようと思う。 プールの吸水口に吸い込まれる事故は今までにも何回も起きている。先ほどのニュースでは確か過去40年の間に今回のような事故が50回も起きていると言っていたように思う。もしこの数字が私の聞き間違いだったとしても、かなりの数の事故が起きている事は確実である。何故同じような事故が繰り返されるのだろうか。吸い込まれたときの瑛梨香ちゃんの驚きと苦痛はどれほどのものだったろう。事故が起きるたびに二度とこうしたことが起こらないようにといっているのに、また繰り返されてしまったのが残念でならない。瑛梨香ちゃんのご冥福をお祈りしています。 |