2002/6/29 これぞスポーツマンシップ!
サッカーワールドカップ3位決定戦の終わりの方をテレビで見た。1対3で負けていら韓国チームが、最後のロスタイムに入った頃、シュートを決めて1点返した。観客は大喜び。しかし韓国にとって残り時間は少なかった。結局トルコに負けて4位。一瞬韓国選手の落胆した顔が映ったが、その後の光景が素晴らしかった。
お互いのチームが健闘をたたえて肩を抱き合っている。勝ったトルコチームと負けた韓国チームが肩を組んでサポーターに挨拶している。サポーターもそれを拍手で迎える。大きなトルコ国旗が観客席に広がる。真っ赤なトレーナーを着た韓国のサポーターが、そのトルコの大国旗をささげ持っている・・・見ていて胸が熱くなった。これこそスポーツマンシップだ。初めは国の名誉をかけて対戦していたのだろうが、結果が出たら、国を越えてお互いに相手チームの健闘を称えあう。その姿は見ていてすがすがしいものだった。
2002/6/26 心地よい汗
ここ数日卓球をしている。コーチについて1対1で1時間みっちりやる。フォア・つっつき・ショート、基本の技を1本出しで教えてもらっている。コーチは夫である。彼は若い頃高校の卓球のコーチをしていた。今は中学生を3人ほど指導している。
実は3月頃から足が痛くて、何度か整形外科に通ったのだが、そこの先生に運動不足を指摘されていたのだ。2月に一度卓球を始めたのだが、突発性難聴で運動を禁じられ、今までストップしていた。一週間ほど前から再開したのだ。
夫は、子どもたちの指導のときは絶対にお酒を飲んですることは無いのだが、私相手のときは飲んでからやることもある。また、子どもたちには、型ができるまでは卓球が出来ない人との対戦を禁じているのだが、私には「遊んでみれば」とか言って、叔母と対戦させたりする。どうせたいして上達しないと思っているからなのだろうが、私は「差別だ!」と言っている。
卓球をする時、頭をフル回転している自分に驚く。体の力を抜く、フォアのとき肘をあげない、腰の回転で打つ、サーブを出す時ラケットを持つ手首を回さない、つっつきは玉の下をきちんとこするなどなど・・・一本一本考えながらやっているつもりなのだが、どっこい体はいうことをきかない。打とうとすると肘が上がって玉が落ちる、サーブは台にぶつけてしまう、体に力が入って肩があがる・・・ 見ているのとやるのでは大違いだ。子どもたちが指導を受けているのを良く見ていたので、注意点は結構わかっているつもりなのだが、自分ではちっとも出来ない。
でも、私にもひとつだけ良い所がある。それはちっともふざけないで、それはそれは真剣にやっているということだ。昨日練習を見た叔母が、「真理ちゃんのあんな真剣な顔始めてみた。」と言っていた。「もしかしたら議会で発言する時よりも真剣な顔じゃないの?」とからかわれる。
卓球をするときは、始めに「お願いします。」と頭を下げないとやってくれない。夫に頭を下げて「お願いします」だなんて、照れくさくて言いたくないのだが、そうしないと教えてくれないので、挨拶はちゃんとしている。とにかく卓球の時は素直に夫の言うことを聞き、そのとおりにやろうとしているのだ。結婚以来二十年以上、こんなに素直に夫に従ったことは無い。ふたりはいつも対等だと思ってきた。でも、卓球だけは明らかに力の差があるので、センセイに従うしかない・・・
今日も1時間の練習を終えて卓球室の外にでると、さっと心地よい風が吹いてきた。こんなに気持ち良い風を感じたのは久しぶり。汗をかいて風に吹かれて、とてもさわやかな気分だった。
2002/6/24 こもれびの会
昨日は毎年恒例の「こもれびの会」に参加した。この会は私の学生時代のサークル(児童文化研究会)OG会だ。もう何年も続いているのだが、私は一昨年初めて参加した。昨年は所用で参加できず、今回は2回目だった。二年ぶりに懐かしい顔に出会う。今回は私たちより上の学年の人たちが都合悪く、私たちが一番年上だった。同期の仲間は6人なのだが、そのうちの半数が参加した。ご両親の介護で参加できない方が何人かいたので、私たちもいよいよ介護年齢なのだなと実感させられた。そろそろ更年期にかかる人、更年期を抜け出そうとしている人など、体の変調期でもあるようだ。昨年、今年と大病をしたという話も聞いた。つれあいの退職・孫の誕生・・・みなそれぞれの人生を歩んでいる。社会活動をしている友人も多かった。民生委員、朗読ボランティア、介護福祉、絵本出版などなど。
会場は仲間のひとりが経営する居酒屋だったが、お料理はおいしく、とても手のこんだもので、あの会費でまかなえるものではなかったにちがいない。申し訳ないようだった。いくつかのグループに分かれてテーブルについたのだが、私たちのグループは一番年長のグループで、健康の話に花がさいた。私ともう一人体重の気になる人がいて、その二人に「毎晩寝る前に体操をして寝るのよ」とアドバイスをくれる人、彼女はそれを毎晩続けているそうな。ひとりの友人は、私の腕にさわって、「太すぎるからダンベル体操でもしてやせなさい」と言う。私が「ダンベルは買ってあるのよ、ダンベル体操のビデオも買った、でも痩せないの。家の息子が、オカア、体操のビデオって買っただけで痩せるんですか?と皮肉を言うの。」といったら、皆大笑い。次の機会には痩せているかどうか点検されるはめになってしまった!
最後は皆で肩を組んで歌を歌った。まるで学生時代のキャンプファイアーのよう・・・。歌も昔歌った歌だった。「今日の日はさようなら」と「シャローム(?)」。昔小学校を回って人形劇をして歩いていた頃、最後の日には必ずキャンプファイアーをした。そこで婚約を発表した友達もいたっけ・・・などど思い出しながら歌った。何年経っても友達はいいものだ。
2002/6/14 記念すべき決勝T進出!
Jリーグの試合など殆ど見ない私だが、ワールドカップは何故か見てしまう。世の中がワールドカップで沸いているせいだろうか。新聞もワールドカップ一色だし、テレビのニュースもそれが中心だし・・・ それにしても先ほどの中田のゴールは嬉しかった。これで決勝Tは確実だと思ったからだ。「いつもは自分のためにプレーする中田が今回はチームのためにプレーしている」という記事を何かで読んだことがある。中田は今回が日本チームとして出場する最後の試合だとも聞いている。その中田がゴールしたのだ。1点目の森島のゴールにも中田がからんでいる。厳しいマークを受けながら、素晴らしいプレーを見せてくれた。
しかし、中田や稲本を見て騒ぐのは我々素人の話らしい。この前ラモス氏がテレビで言っていた。「戸田がすばらしい。トルシエ監督も、中田は外せても戸田のことは外せないでしょう。それがプロの目から見た感想です。」と言うような言葉だった。なるほど、専門家の見方は違うんだなと感心して聞いた。とにかく、攻める人も守りの人も一丸となってプレーした結果なのだ。スタンドを埋め尽くしたサポーターの応援も力になったのだろう。良かった、良かった・・・ 選手のみなさんおめでとう!
今、ワールドカップ関係のニュースをネットで見ていたら、素晴らしいことが書いてあった。試合終了後に日本代表の控え室を見てみると、誰も使わなかったくらいきれいに掃除されていたのだそうだ。そのマナーの良さが、国際サッカー連盟で評判になっているとのこと。他の国の控え室は、バナナの皮やペットボトルなどが散乱しているのだそうだ。それに比べて日本チームの控え室は非常にきれいだったという。勝敗だけでなくマナーの良さでも評判になるとは素晴らしい。
2002/6/12 久々の雨
今朝起きてみると、久しぶりに雨音がした。本当にずいぶん長い間雨が降らなかった。台風4号から変わった熱帯低気圧のせいだろうか。夕べは風が強かったが、今は殆ど風は吹いていない。雨も上がり始め、鳥の声がキィキィと聞こえてくる。
長期間雨が無かったので、文庫で植えたサツマイモの苗にも何度も水掛けをしなければならなかった。土は真っ白にかわいて、少しぐらい水をまいてもなかなかしみ込まない。それも今日で終わりだろう。全国いっせいに梅雨に入ったそうだから。このまま雨が降らなかったら、農家の人たちも水田の水不足に悩む所だったが、ようやく雨が降って、安心されたことと思う。雨に濡れが木々の緑が鮮やかだ。うっとおしいけれど、梅雨はやっぱり大切なのだとあらためて感じている。
2002/5/31 やって見なければ分からない
今日のワールドカップ初戦は、前回の王者フランス対アフリカの新鋭セネガルだった。ジダンが抜けているとは言え、フランスが王者の貫禄を見せるのかと思ったが、結果は大違い。セネガルが1点リードのままゲームが終了した。何事もやって見なければ分からないものだ。この調子だと日本の決勝リーグ進出も期待できるのかも。どこかの国の掛け率によると、フランスが優勝した時の倍率は4倍で、日本だと81倍だとか。でも、やって見なければ分からない・・・
2002/5/29 新聞奨学生の帰宅
我が家の下の息子はこの4月から新聞奨学生をしている。浪人中なのだが、
「親の世話にはなりません。自分の力で大学にいきます。」
と宣言して家を出て行ったのだ。毎朝3時に起きて新聞配達をしている。あの寝坊息子にできるのかと心配したが、今まで寝過ごすことも無くやっているらしい。小さい頃喘息もちだった息子が、仕事をしながら頑張っているのは親としてちょっぴり嬉しくもあり、感慨深くもある。
その息子がが久しぶりに帰宅した。いつもシャワーばかりでお風呂に入っていないので、お風呂に入りたくて帰ってきたと言う。帰るとすぐにお風呂に入って、上がったら、
「ああ、やっぱりお風呂はいいなあ。」
と言う。今まで家にいたときは当たり前と思っていたことが、外に出てみるととても大事に思えることがあると思うが、彼もそのような体験をしているようだ。ひとまわり大人になったのを感じる。
「受験勉強も大変だけど、それ以外でもずいぶん勉強になることがあるよ。」
と言っていた。同じような仲間と励ましあいながら生活しているらしい。みんな良い人で、社員の人たちも親切にしてくれるのだそうだ。自立を宣言して出て行ったのだから、最後までやりとおして欲しいと思っている。
2002/5/27 デンドロビウム
昨日行った義兄の家に、きれいなデンドロビウムの花が咲いていた。毎年咲くという。我が家でははうまく咲かないのだが。どこが悪いのだろうか。冬の扱いが悪いのか、肥料のやり方が悪いのか・・・ 「とっても簡単なのでどうして咲かせられないのか分からない」と兄は言う。でも、我が家ではここ数年咲いたためしがない。茎が細くて、花芽も出ないのだ。
兄の家に飾ってあったのは一鉢だったが、本当はもっとたくさんあったのだそうだ。良いものから人に貸してしまって、今家に残っているのはこの一鉢なのだとか。咲くところには咲くものだと感心して帰ってきた。
2002/5/21 いまだ戦火の中のアフガン
一昨日中村哲医師の講演会を聞きに行った。アフガニスタンの報道が殆どされなくなったこの頃であるが、かの地ではタリバン消滅後の現在も戦火が続いているとのことであった。空爆はなくなったが地上戦は今も各地で行われているとのこと。首都のカブールだけは多国籍軍の駐留でどうにか治安が保たれているものの、他の地域ではソ連が引き上げたあとと同じに無政府状態になっているそうだ。
タリバン崩壊後、多数のNGOや報道陣、各国政府関係者がカブールに入ってきたため、カブールの物価が恐ろしいほど高騰しているという。まずこれらの団体が、爆撃によってあまり破壊されなかった場所に事務所を構えたため、カブールの地価が高騰した。家賃は10倍かそれ以上にもなっているという。それに伴って他の物価も高騰している。したがって現地の人々は物価高に喘いでいると言うことだ。カブールの最貧層はタリバン時代と何も変わっていないそうだ。
講演後の質疑の中で、「何故各国がタリバンを標的にしたのだろうか。」という質問に対して「アフガン戦争では古くなって更新しなければならない兵器が多数使用された。この戦争によって利益を得る人たちがいたということです。」という意味のことを話されたのが強く印象に残った。兵器の在庫一掃のために殺された人たちがいたとしたら・・・・
このようなアフガニスタンの状況は新聞もテレビも報道していない。学校に行けるようになって喜んでいる女の子の姿などが大きく報道された。これはあくまでも援助する側、アメリカ側寄りの報道であるという。タリバンが厳しく取り締まってきたケシの栽培が大幅に増え、麻薬の密売が増えていると言う現実は、国際社会にはあまり報道されていない。
メディアは個人情報保護法案に揃って反対している。それはそれで良いと思っているが、アフガニスタンの報道にしても、体制寄りアメリカ寄りになっていることに自ら疑問を持たないのだろうか。ジャーナリストはいつも批判精神を持たなければならないと思う。今週あたりに山場を迎えようとしている有事法制に対しても、反対派の行動などがあまり報道されていない。三重県議会が反対決議をしたことも殆ど報道されなかった。メディアはこの法律の内容をもっともっと報道して反対の世論を喚起して欲しいと思うのだが。
2002/5/15 瀋陽の亡命事件
瀋陽で起きた北朝鮮住民の亡命事件は、日本の外交官の人権意識の低さを世界中にさらけ出した。門のところであれだけ抵抗している人たちがいて、必死で警察官ともみ合っているのに、領事館からでてきた外交官には少しも緊迫感が無い。のんびりゆったりと歩いている。本来なら駆けつけるべきなのに、あんな歩き方をしているのは、わざわざゆっくり歩いて面倒な問題が中国側の手によって片付くのを待っていたかのようだ。命がけで逃げ込んでくる人を何と心得ているのだろうか。あの小さな女の子の命もかかっているのに!
そして事件発覚後は己の保身に終始している。言い分はくるくる変わるし、中国から指摘されて隠していた事実を発表するし・・・これが国を代表する人たちのすることだろうか。
阿南大使は不審者を排除するよう指示したようだ。これが日本の亡命者に対する態度なのだ。島国根性だからか、国に帰れば迫害されると分かっている人をなかなか難民と認めない。国際社会で尊敬される地位を占めたいのなら、もっと懐を大きくして難民を受け入れるべきだろう。
あの5人が一日も早く安全な場所で暮らせるようになることを祈る。
2002/4/29 チェルノブイリの子供たち
3月23日から日立で保養していたチェルノブイリの子どもたちが昨日帰国した。日立への行き帰りに我が家で休憩するのが慣わしとなっている。成田へ一時間という地の利がそうさせているのだ。
今年は九歳と十歳の四人の子どもたちが来日しており、五週間の滞日が終わって、一昨日日立から我が家へやって来た。三月に来日したばかりの時は、緊張していて殆ど喋らず、食べ物にもなかなか手を出さなかったが、こんどはずいぶんリラックスしておしゃべりもするし、いたずらもした。
一番驚いたのは、日本語をいくつも覚えて喋るようになったことだ。今まで八回世話をしているが、こんなに日本語を覚えた子どもたちは初めてだ。あちらでは食後に甘い物を食べる習慣があると聞いたので、夕食後にケーキを出したら、サーシャという男の子がふざけて、
「おいしくない!」
と言う。『チェルノブイリの子どもを救おう会』の会長をしている私の叔父が、
「おいしくないならもらうよ」
と言ってケーキのお皿を手前に引いたら、サーシャは慌てて、
「おいしい!おいしい!」
とそのお皿を自分の方へ引き戻した。こんなことが出来るようになったのは初めてだ。子どもの言語習得能力は素晴らしい。
引率者は来日三回目の二十代前半の先生だったが、彼女の日本語習得も大したものだ。今までの先生は殆ど日本語など覚えなかったが、彼女は我々の会話を聞いて、何について話しているかを理解してしまうことがある。モスクワからベラルーシの首都ミンスクまでの夜行列車のなかで食べる弁当が必要かどうか話し合っていたら、彼女は何の話か理解してしまった。
「I understand.」
と言って、必要な物を示したので、そこに居た七・八人の日本人がみな驚いた。多分「モスクワ、ミンスク、食べる」などから理解してしまったのだろう。もし、また来日したらさらに日本語がうまくなるに違いない。
先生の着物姿の写真があったので、パソコンで拡大したあげたらとても喜んで
「もう一枚作って欲しい」
と言ってきた。聞けばボーイフレンドにあげたいとの事。そう言ったとき、真っ白な顔がピンクに染まったのがとても初々しくてかわいらしかった。
今朝ミンスクに着くはずなので、今ごろは家族の待つカーメニ村についた頃かもしれない。
来日アルバム
2002/4/11 政治不信と有事立法
このところの国会は、鈴木・辻本・加藤氏らの「政治家と金」の疑惑でもちきりだ。またまた井上参議院議長と田中真紀子氏の疑惑も浮上してきている。構造改革もデフレ対策もどこかへ行ってしまったかのようだ。内閣の支持率も下がってきている。国民の政治不信は深まるばかりだ。しかし、このようなときに有事立法が提案されようとしている。我々国民は政治不信などと言ってはいられないのである。いまこそ国政に眼をむけ、政治家が何を決めようとしているのか、その内容はどうなのか国民が監視しなくてはならない。
けれども、有事立法に対する意見は新聞などでもあまり取り上げられていない。政治不信を意図的に深めて、国民の目を国政からそらしているのではないかと思ってしまうのは考えすぎだろうか。
2002/3/8 休息
二日ほど前から耳が変で、今日医者に行ったら、突発性難聴と診断され、当分の間パソコンを禁じられてしまったので、このホームページの更新も出来なくなってしまった。
2002/2/7 卓球事始め
昨日から卓球を始めた。コーチは夫である。昔中学生のとき一度卓球部に入ったことがあるのだが、どんな理由だったか止めてしまった。私のいた頃の藤代中では部活動をやっている人の方が少なかったので、遊びたくて止めたのかもしれない。それ以来ずっとご無沙汰だったが、旧久賀小の教員時代には卓球の得意な先生がいて、勤務終了後に相手をしてくれたので、昇降口でよく遊んだものだ。
その後すっかり遠ざかっていた。我が家に習いに来ている子供たちの練習を見るのは好きだが、自分ではやらなかった。だが、このごろあまりにも運動不足なので、体重は増えるは筋肉は緩むはで、何とかしなければと思っていた。ウォーキングも少しだけやったことがあるが続かずに止めてしまったし、スポーツジムに通って体重を落としたこともあるが、止めたらもとに戻ってしまった・・・・ スポーツ系はどうも長続きしない。楽しくて続きそうなものは無いだろうかと探していたのだが、結局家で出来る卓球がいいかと思って、教えてもらうことにした。
続くかどうかは分からないが、昨日は楽しかった。週に3回ぐらいやろうと言っている。まず初めに「フォア打ち」「突っつき」「ショート」の練習。ショートは出来ないので、一本出しをしてもらった。一本一本出してもらってはショートで返す練習だ。「フォア」と「突っつき」は一本だしでなく続けてやった。40分ほどやって軽く汗をかいた。
やってみると体が硬くなってしまうのが自分でも良くわかる。子供たちに指導しているとき見ていたので、注意する所を頭では理解しているのだが、いざやるとなると体は言うことをきかないものだ。子供たちも一本出しを何千本もやって続くようになったのだから、私はトシの分だけ余計に時間がかかるだろうと思う。試合が出来るようになるのはいつのことやら。
2002/2/6 ニラと幸齢者
今日のタイトルはハテナ?と思われる方が多いと思う。その心は・・・? どちらも生命力を感じたことにある。
ニラというのは、一昨日買って来たニラが、半日ほど台所に放って置いたらシワシワになってしまったので、駄目かと思いつつコップに水を入れてさしておいたのだ。本当にグニャグニャのシワだらけで、再生は不可能かと思うほどだったのに、一夜明けたら根本の方からピンと伸びてきて、今は葉の先だけにシワが残っている程度まで元気になったのだ。これなら食用に耐えられる! 植物の持つ生命力に感服してしまった。
「幸齢者」とは、素敵なネーミングである。これはある幸齢者のホームページで見つけたのだ。「退職しても絶対にぬれ落ち葉にはならない」との決意のもと、器楽演奏、音楽鑑賞、釣り、パソコン、旅行、絵画と多くの趣味に生きる方のホームページだ。大会社の技術者を退職後生き生きと趣味に生きる姿をホームページに掲載し、多くの方と交流している。こんな高齢期の生き方に生命力の充実を見た思いがした。
検索エンジンで検索して見ると「幸齢者」という言葉は既にあちこちで使われている。舛添要一氏も使っておられるし、京都府立ゼミナールハウスでも「幸齢者教室」というのが開かれている。これから高齢期の人は増えるわけだから、この言葉をもっと一般化したらよいのではないだろうか。勿論言葉だけが「幸」でも実が伴わなければ無意味だが、高齢者が生きがいをもって暮らせる「幸齢社会」を作っていかなければと思う。
2002/2/4 木々のつぼみ
庭のあちこちで木々のつぼみがふくらんできた。
我が家の紅梅は老木に似合わず、ほんのりとやわらかい乙女のほほのような色の花をつける。幹はえぐられていて、殆ど樹皮だけで生きているようなこの老木のつぼみも少しずつ赤みをおびてふくらみ始めた。あと半月もすれば良い香りをふりまいて己の存在をアピールするのだろう。
文庫への通り道に生えているミツマタも、直径が2センチぐらいの半球形のつぼみをぶら下げている。よく見ると細い筋のようなものが集まって丸くなっているのだが、それらの一本一本に白い綿毛が生えている。この一本ずつが黄色い花になるのだ。タンポポのように小さい花のあつまりなのだろう。春早く咲くので、文庫に来る人たちが「うわぁ、かわいい花!何の花なの?」と聞いてくる。ミツマタはこの辺りではあまり見かけない。時には咲いた花の上に雪がつもることもある。
もうひとつ春の初めに咲く花は、馬酔木だ。わたしの会派の名前にもなっている。馬酔木のつぼみも大分大きくなってきて、日当たりの良い所では一輪二輪開き始めている。もうすぐすずらんのような形の花を房状に咲かせるだろう。色はやや緑がかった白で、派手さは無いが清楚である。この木の葉を食べると馬の足がしびれて酔っ払ったようになることから馬酔木という名が付いたのだそうだ。奈良公園にはたくさんの馬酔木が生えている。公園の鹿が食べないので残ったのだと聞いたことがある。葉の成分のなかに毒性があるので、動物たちが食べないようだ。百科事典によると、江戸時代にはこの葉を煎じて野菜などの殺虫剤をつくったとか。議会の中で執行部にとって厳しい(ちょっぴり有毒?の)発言をしたいと思い、この植物の名前を会派名にしたのだが・・・・
木々のつぼみは春の近いことを教えてくれている。そういえば今日は立春だ。
2002/2/2 えっ! ブッシュ大統領がノーベル平和賞候補?
昨日の時事通信によると、今年のノーベル平和賞の候補者の中にアメリカのブッシュ大統領が含まれているという。ニューヨークのジュリアーニ市長らとともに候補者のひとりなのだそうだ。私は「どうして?」と思ってしまう。テロの後始末に奔走したジュリアーニ市長はまだしも、報復戦争の指令を出したブッシュ大統領が平和賞の候補者だなんて!突然の空爆でどれ位の民間人の死者やけが人が出たことか。また、この寒さの中で難民キャンプで過ごさなければならない子どもたちも大勢出たというのに、そのような事態を引き起こした責任者がノーベル平和賞?どこか狂っているのではないだろうか。以前からノーベル平和賞には疑問符の付く人たちがいたとは思うが・・・
2002/1/29 コンピューターウィルスは我が家がお好き?
またまたウィルス登場。27日に発見されたというワーム型ウィルス「My
party」が早速我が家にやってきた。
昨日メールソフトを開くと添付ファイルの付いたメールが2通来ていた。おやおやと思って件名を見ると「My
party」となっている。以前アメリカの知人からメールで写真が来たことがあるので、またパーティーの写真でも来たのかなと思ったが、まてまて・・・と一息いれて考えて見た。差出人名は知らない名前だ。どうも怪しい・・・ということでメールを開けずにそのまま削除した。そして「削除済みアイテム」フォルダからも削除。もしかして知っている人からのメールだったら悪かったかなと思ったりした。
今朝『初心者のためのPCセキュリティー』というメーリングリストから新しいメールが届いていたので、早速見てみるとこの「My
party」ウィルスのことが出ているではないか。「良かった!すぐに削除して」と胸をなでおろす。ウィルスには2度もひどい目にあっているのでもうこりごりだ。
それにしても早く来たものだ。まだ発見されて1日しか経っていないというのに!コンピューターウィルスは我が家がお好きなのかも・・・
2002/1/27 東京選手権(卓球) カデットの部茨城県予選
土浦の霞ヶ浦体育館で上記の試合があったので応援に行った。夫の指導している「つばさクラブ」の6年生が中学生に混じって参加しているからだ。この大会は中学2年生までの大会で、小学5・6年生は茨城県大会でベスト8に入った子だけが参加できる。中学生も選抜された人たちだ。
わが「つばさクラブ」の選手は、この大会は初参加だった。1回戦で第3シードの中学2年生に当たってしまい、あえなく初戦で敗退。それでも中学生との対戦は有意義だったようだ。
男子は6年生が準優勝して東京選手権の出場資格を得た。小さい頃から頑張っている子供たちが大勢いる。幼稚園や小学1年生ぐらいからやっている子もいる。あまり小さい頃からひとつのスポーツに打ち込むことは、体の発達の上で問題があるかもしれないが。
いまの子供たちは大変だ。やれ勉強、スポーツ、音楽、塾・・・ その点私たちの頃はのんびりしたものだった。小学生時代はただ遊びほうけていた。勉強といえば宿題が精一杯で、家に帰るとランドセルを放り出して友達と暗くなるまで遊んだ。
習おうと思えば何でも習える今の子供たちと、遊ぶだけの毎日だった私たちの頃とどちらが幸せなのだろうか。
2002/1/18 アクセスカウンタ
いろいろなアクセスカウンタを探して、やっと良さそうなものにたどりついた。カウントは昨日削除したときの数字からの続きにした。このカウンタはクッキーを使っていないとのことなので、クッキーの心配は無いと思うが、その他のことでなにか不都合があるのだろうか。とにかくこれで様子を見ることにする。昨日『かわら版』を折り込んで、そこにホームページのURLを書いたのでアクセスしてくれる方もあろうかと思う。カウンタの数字が楽しみだ。
2002/1/17 アクセスカウンタに関するお詫び
このホームページの最初に付けているアクセスカウンタに関して、訪れてくださった方にご迷惑をおかけしたようでお詫び申し上げます。私にはクッキーの何たるかがまだ理解できないのですが、このページを訪れると訪問者のパソコンにクッキーが貼られるそうです。そのクッキーというものがパソコン上でどのような働きをするのか、ネットで検索してみたのですが、説明を読んでもまだよく理解できません。とにかくプライバシーを侵害する恐れがあるようですので、アクセスカウンタは削除致しました。
このことは、「あい・ねっと」上の投稿で知りました。今のカウンタは14日に付けたものです。それ以前のカウンタはプロバイダーから提供されたもので、ページを移動してトップページに戻るとカウントが上がってしまうものでした。そうでないカウンタは無いのかとプロバイダーに聞いて見たのですが、無いとのことだったので暫らくそのまま使っていました。ところが、あいネットでカウンタの不備を指摘されたので、やはり直そうと思って、ネットから無料のカウンタを探して載せました。
初め有料のものを試しに使ってみたのですが、それだと更新のたびにカウントが上がるので、以前のものと変わらないということで、それは止めにしました。AC-Check.comのカウンタはどうして無料なのかとすこし不審に思ったのですが、カウンタの画像として宣伝が入っているからかなと安易に考えてしまいました。その結果クッキーなるものが訪問者のパソコンに貼り付けられるということには考えも及びませんでした。HTMLのこともJavaのことも何も分からずにホームページを作っているからこのようなことになってしまうのですね。宣伝が入るということでカウンタの位置を今までのところより目立たないよう、下の方にしたのですが・・・。
「あいネット」にこのことを投稿してくださった方は、私のホームページに投稿して教えてくれようとなさったようですが、匿名がきかない為「あいネット」にされたそうです。2年半前の選挙中に匿名の中傷電話などがあったので、匿名による掲示板の設置はしていません。ご意見に対するお返事をするためにも、発信者のメールアドレスがわかる形での投稿のみを受付けておりますのでご了承ください。
クッキーによってご迷惑をおかけした方には深くお詫び申し上げます。
2002/1/8 辺見庸「これは『戦争』ではない」を読んで
今朝の朝日新聞に「アフガン空爆その後」という特集記事があって、その中に表題のリポートがあった。辺見氏はアフガン空爆後のカブールに行って、アメリカのアフガニスタン報復攻撃に対する反対の意思を強めている。『戦争』とは武力による国家間の闘争であるとすれば、これは戦争ではなく、「国際法も人倫の根源もすべて無視した計画的かつ一方的『襲撃』だったのではないか」と書いている。それほど一方的なものだったようだ。激しい戦闘はなかったと言う。「まったく同じ条件下にあったとしたら、アメリカはアフガニスタンで行ったと同じことをボンやリヨンやメルボルンでやれるのか、できはしまい、ここに犯罪性があり、人種差別がある」とも述べている。
まったくと言って良いほど力の差があるものが一方的に襲撃したのがアフガン空爆だったという氏の見解には説得力がある。その中で、誤爆現場で生き残った幼児の話は読むだけで苦しくなる。
こうしている間もアフガニスタンの高地で、飢えと寒さに震えている多くの人々がいることを思うと、とても辛い。アフガン空爆に関して私がしたことは、反戦の署名とペシャワール会へのわずかばかりの募金だけだ。
論文の最後に不審船の問題が書かれている。その報道のあり方に対する強い疑念は、私も感じていたものだ。この事件に冷静な分析を加えた報道は殆ど見かけなかった。
同じ紙面に京大助教授の岡真理氏の「『テロ撲滅』が暴力生み出す」という意見もあって、「私たちの安全や秩序なるものがグロテスクな暴力によって支えられている」という所にドキッとさせられた。
2002/1/5 訃報
今日は東京に住む叔父の見舞いに行った。叔父は90歳を過ぎて大分体が弱ってきている。最近は介護保険のお世話にもなっているとのこと。電動のベッドを借りるのも介護保険で月々千数百円で済むそうだ。まだまだ不十分な所もある介護保険だが、1割の自己負担は有難いと従姉妹が言っていた。
その場に電話が入った。議会事務局長からで、役場の課長の訃報だった。まだ50歳だという。心筋梗塞による急逝だ。彼との付き合いは、私が『水と洗剤の会」という団体で活動していた頃からだから、かれこれ15,6年になる。穏やかな人柄だった。ご家族の方々の驚きと落胆はいかばかりだろう。電話を受けても私には信じられない感じがした。心からご冥福を祈りたい。
2002/1/3 新らしい年
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
いろいろ暗いことが多かった2001年も終わり、新しい年が始まった。今年は明るいニュースが多いことを願っている。
紅白歌合戦が終わってすぐムラの鎮守様である熊野神社に初詣に行く。谷中は新しい住民の方も多いので、私が子どものころに比べ、熊野神社に参詣する人も増えている。当番の方たちが焚火をたきながらお酒を振舞っている。お酒が苦手な人と子どもたちには甘酒だ。神社の周りにはさまざまな神様が祀られている。三峰神社、大杉神社、天照大神、天満宮などなど。一回りすればたくさんの神々に詣でることができる。
元旦には多くの方から年賀状をいただいた。中に高校の友人からの絵手紙形式の年賀状があった。彼女とは美術選択のクラスで一緒だった。今は絵手紙の講師をしていると聞く。やっばり手書きの年賀状は温かみがあってうれしいものだ。私は手軽にパソコンで作ったものを出してしまった。どこかの誰かとまったく同じ画像のものを出しているかもしれない、ああ・・・。
我が家のお正月はにぎやかだ。私の兄弟の家族が帰ってくるので、昔は総勢20名の大所帯になったものだ。近頃は子どもたちが大きくなって来ない者もいるが、それでも今年は13名の家族が集まった。大きな図体になった若者がゴロゴロしているので、茶の間は足の踏み場も無いほどだった。その者たちも昨日引き上げて、夕べは家族5人になったが、なんだかガランとしてやけに静かになったように感じた。そろそろ普段の生活に戻って、近々配布予定の『まり子かわら版』の編集にかかろう。
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