2002/12/29(日) クローン人間
昨日の報道にクローン人間が誕生したというものがあった。「クローン人間」・・・・それこそSFの世界のことかと思っていたが、現実になるとは!手塚治虫の漫画の中にクローン人間というのがあったような気がするが、今本当にこの世の中にそのような人が誕生したとすると恐ろしいことだ。確かにクローンであるかどうかは遺伝子で調べると書いてあったが、本当だった場合、そのようなことが許されるのだろうか。医の倫理はどうなっているのだろう。人間の命を人工的に操作するのは自然の摂理に反することで、許されることではないと私には思えるのだが。
2002/12/26(木) 海の中
ここ数日、朝食のあとに海中の自然を扱った番組(NHK)を見ている。自分では到底行けない深い海の底、そんなところにも生物がいる。海底探査機で数千メートルも潜って撮ったらしいのだが、そんな海底火山の噴出口のそばにも生き物がいることに驚いた。水温は80度にもなるという。今までこんな高温のところに生息する生き物の存在は知られていなかったが、この探検で分かったのだそうだ。光の届かない真っ暗な海の底で、色を失って真っ白になったカニ・エビなどが動いている・・・・。それに真っ赤な環形動物。海底にくっついて生きるその生物はサンゴのようでもあり、丸い筒状の形はミミズのようでもあった。その生物の赤はヘモグロビンだという。私達の血液の中のヘモグロビンと同じものがこんな海底の不思議な生き物の中にもあるなんて驚きだ。不思議な生き物で海は満たされている。人間が探検したのはその広い海底のほんの数%に過ぎないとのこと。まだまだ地球は広いのだ。
大きな魚達と小さな魚達の命をかけた戦い。カジキマグロやサメなどが来ると、小さなイワシなどはそれはそれは大きな塊となって対抗する。塊から外れると大きな魚の餌となってしまうのだ。大きな魚達はその塊をめがけて突入する。固まりは目にもとまらないほどの速さでぐるぐる回りながら抵抗する。それでも大きな魚達が突っ込む。次第に塊が小さく分裂し、そのいくつかは大きな魚達の餌になってしまう。だが、大きな生き物だって、子どもの頃は大変だ。卵からかえって成魚になるものは数千分の一だという。すさまじい生存競争を生き抜いてやっと成魚になったものを我々人間が一網打尽にしてしまう・・・・。
何日か前はシロナガスクジラのことをやっていた。シロナガスクジラは地球上の生物の中で一番大きい。かつて世界を制覇していた恐竜たちよりも大きいそうだ。その大きさを次のように言っていた。心臓の大きさは車一台分、そして血管の中を人間が泳いで通れると。よくCGでそんな場面を見るが、本当に泳いで通れるほどの血管とはすごいものだ。車ほどの心臓がドッキン・ドッキンと脈打って押し出す血流はどんなものだろうか。シロナガスクジラは30メートルもあるということは今までも知っていたが、この心臓と血管の話を聞いて、そのとてつもない大きさが想像できる。一日に食べるプランクトンは数千万匹だという。何頭ものクジラが食べても食べてもプランクトンは無くならずにいるのだろう。海は本当に豊かだ。
クジラの死骸が海底に沈んでいた。その死骸は様々な魚達の餌となる。そして最後には小さなプランクトンをたくさん育てるのだ。自分が食べてきた多くの命を今度は自分が育んでいるという感じがした。自然の循環は本当に見事だと感心してしまう。
今日もこの番組があるだろう。またどんな世界が見られるか楽しみだ。
2002/12/18(水) 田中さんは「突然権威」
昨日の茨城新聞に面白い記事が載っていた。住友生命保険が募集した創作四字熟語についてだ。約9200点の応募があり、俵万智さんがその中から50点を選んだそうだ。面白いものがいくつもある。ノーベル賞受賞の田中耕一さんは「突然権威」。食品業界は様々な不正で「添加後免」、年の前半は何人もの国会議員が不祥事で議員を辞めたので、「疑因辞職」。まだある。景気低迷で株は下がる一方、そこで「凍傷株価」は「株式荒壊」状態だそうだ。うーんとうなってしまう。こんな不景気なときこそユーモアが必要なのかも。
2002/12/16(月) 「ご武運をお祈りします」だなんて!!
多くの国民の反対を押し切って、遂にイージス艦「きりしま」が横須賀を出港した。この出港にあたって、アメリカのイージス艦が「ご武運をお祈りします」との垂れ幕を掲げて見送ったと言う。何たることだろう。アメリカは当然のごとくイラク攻撃を視野に入れていて、その「ご武運」を祈ると言うのか・・・・。
出港する隊員や見送る家族の方はどんな気持ちだろう。結婚したばかりの妻の手を握り締めていたという若い隊員。「体に気をつけて」とだけ言って分かれたという母親。言葉には出せないけれど、隊員やその家族がこの派遣に一番反対なのかもしれない。
あれだけの装備をもっている護衛艦を派遣するのだもの、自衛隊を軍隊と思わない国はあるまい。「自衛隊」などと言って通じるのは日本の中だけであって、ほかではみな「軍隊」と考えているに違いないのだ。日本がアメリカの支援の為に軍艦を派遣した ― これが世界の見方だろう。今が戦前にならないように、私達一人一人が声を上げていかなければならない。
2002/12/15(日) ガンダーラの石仏
久しぶりに夫とふたり上野に出て、国立博物館で開かれている「パキスタン・ガンダーラ彫刻展」「インド・マトゥラー彫刻展」を見る。上野へは他の用事で行ったので、何か催しは無いかと見回すと、ガンダーラ彫刻展のポスターがあり、行ってみることにする。会場は国立博物館の平成館だった。この展示館が出来てから国立博物館を訪れたのは初めてだ。ずいぶん長いこと行ってなかったんだなぁと、近頃の自分のゆとりの無さを思った。昔は良く展覧会に行ったものだったが・・・。
ガンダーラの石仏を見て一番に感じたのは衣の線の美しさだ。流れるような衣文、そしてその下に肢体の動きが透いて見える。これが紀元1世紀から3世紀ごろの作品かと感心してしまった。そのころ日本ではまだ弥生時代ぐらいだ。ガンダーラの石仏には文字も書き込まれていて、当時の文化の高さをあらわしている。釈迦の伝説の一場面を切り取って構成したものがたくさんあった。ガンダーラの石仏の顔は、彫りが深く目鼻立ちが整っていて、日本の仏像とはかなり異なっている。初期の作品は目を見開いているが、だんだん半眼になって、思索にふけっている感じを出すようになっている。日本の仏像も殆ど半眼になっていると思う。仏像の前に座って仰ぎ見たときに仏と目が合うように出来ているのだと、大学時代の美術の先生が話されたのを思い出す。
いくつかの仏像は、仏の膝や肩などがテカテカ光っている。他の部分は少しざらっぽい石の感じが残っているのに、そこだけ光っているのは、信仰のひとつの形として、仏像をなでたのだろうかと思った。日本でもお地蔵様の体をなでるというような信仰の形が見られるので、あちらでもそうした風習があったのかもしれない。
ガンダーラの石仏を見た後、インドのマトゥーラ石仏を見る。こちらは衣の形が全く違った。衣文の襞が無いのだ。飛鳥寺などの古い仏像にも衣文の襞があるのを見ているので、襞の無い衣にはちょっと驚いた。若い王族をモデルにしたのではないかと書かれた仏像は、張り切った肉体が若さを表していて美しい。
久しぶりに展覧会を見てゆったりとした気分になった。館外に出てベンチで一休みをする。目の前の表慶館が堂々とした姿で建っているのを見て近寄ってみると、明治の終わりごろ大正天皇のご成婚記念に日本の建築家が設計したものだという解説があった。この建物はずっと石造りだとばかり思っていたが、レンガの上に石を貼ったものだということが分かった。国の重要文化財に指定されている。たまにはこうして展覧会などを見て心にゆとりを持たなければと思いながら帰ってきた。
2002/12/9(月) 県議選
昨日は県議選の投票日だった。この十日間懸命に主張してきた各候補者に有権者の審判が下された。全県を通してみると、自民・民主・共産がそれぞれ議席を減らした。保守系無所属の何人かが当選後自民党に入党する見通しで、現有議席は確保できそうだ。民主が議席を減らしたのは中央でのゴタゴタも影響しているだろう。
注目の選挙区では、岩井市で自民党県連会長の山口武平氏と中村喜四郎代議士秘書の古谷英明氏との一騎打ちがあったが、県連会長の山口氏が5500票あまりの大差をつけて圧勝した。ここは、国政選挙で中村喜四郎代議士を推した県議候補者を、山口氏の率いる自民党県連が公認しないので、中村・山口両氏の因縁の対決と言われている。下妻市では業際研汚職事件で公判中の前下妻市長山中博氏が立候補していたが、市民の良識が山中氏を退けた。
そして、私の住む北相馬郡選挙区、ここも注目される選挙区のひとつだった。それは長く続く保守系2派閥の対決だからだ。県議選・町長選ともにこの二つの派閥の対決となる構図がずっと続いてきた。県議選もここ3回同じ候補者の一騎打ちになっている。今回は町内自民党支部の分裂騒ぎもあって、ますます対立は深まったように見える。自民党員で自民党県連の役員も務めた川口三郎氏は公認を得られず、前回民主党の推薦で当選した赤羽直一氏が今回は自民党の推薦を得た。こうなった背景には、自民党県連会長の山口武平氏と川口三郎氏の対立があると言われている。
今回の選挙もお決まりの文書合戦となった。怪文書と思しき物もかなり出回ったようだ。私は派閥解消を唱えており、どちらの陣営にも組していないので、私のところにはあまり怪文書は流れてこないのだが、支持者の何人かからそれらしきものの一部を見せてもらった。これが毎度のことなのだ。この醜い対決に多くの有権者は「またか」という気持ちになり、投票の意欲をなくしたのだろう。投票率は前回を約8%ぐらい下回った。もっと政策で対決できないものなのか、派閥抗争はいつまでも尾を引くのだ。町議会もその両派閥の対立になっているし、町民の間にも対立が見られる。多くの人が派閥に組せず、正しいことは正しい、悪いことは悪いと発言していくことによってしか派閥対立の構図は解消されないのではないだろうか。
ところで、昨日の藤代の投票率は55.86%だという。当日有権者が27,104人だから約12,000人が棄権したことになる。これらの方々は県政に対してどんな考えをお持ちなのだろうか、また、どんな考えでこの選挙を見ておられたのだろうか、知りたいところである。
2002/12/5(木) 遂にイージス艦を派遣するとは!
昨日小泉首相と石破防衛庁長官が会談し、インド洋へのイージス艦派遣で合意した。与党内にさえイージス艦の派遣には反対の意見がかなりあると言うのに、小泉首相はどこに軸足をおいてこの決定をしたのだろう。すべてがアメリカ寄りだ。ブッシュ大統領にばかり顔を向けているのではないか。アメリカの起こそうとしている戦争に、ただハイハイとついて行こうとするのは、あまりにも主体性が無い。ドイツはアメリカと一線を画しているというのに!本当に情けないと思う。
日本がイージス艦を派遣すれば、アジアの緊張が高まるのではないか、テロ組織の標的にされるのではないかと不安になる。イージス艦の派遣は、「日本は軍事国家になった」ということを世界にアピールするようなものではないのか。もしそうだとすれば、過去の戦争で多くの犠牲者を出した国が黙って見過ごすことはできないだろう。中国や韓国・北朝鮮との関係が一気に悪くなるのではないだろうか。そうなったら、北朝鮮との国交正常化交渉もますます遠のくだろう。そして拉致被害者の方達はさらに長期間に渡って家族が離れ離れの生活を強いられるのだ。
先日の衆議院外務委員会で、河野太郎議員の質問に対して、内閣法制局は「現在のテロ対策特措法でのイージス艦派遣には無理がある」という答弁をしている。それで河野議員は「イージス艦派遣となれば新法の制定が必要だ」と強調していた。それなのに、国会での審議も無く派遣を決めるとは!あの時川口外務大臣はまともな答弁を避け、逃げ回っていた。もしかすると、今日の決定をある程度知っていたのではないだろうか。
有事法制の修正案も今国会に提出の予定だと言う。わが国はどんどん戦争の出来る国へと変わろうとしている。次世代を担う子供達のためにも、反対の声をあげ、われわれ大人がここで踏ん張らなければと思った。
2002/12/4(水) 査 察
イラクの大量破壊兵器を査察するための国連の査察団に関するニュースが報道されている。しかし、カナダからアメリカに査察団が出ることはきっと報道されないだろう。これは国連の査察団ではない。民間のそれである。今朝メールをチェックしていたら、カナダの平和団体の連合体である「巨悪の根絶」(「われらの悪を根こそぎに」)が、アメリカの大量破壊兵器を査察するというニュースが飛び込んできた。思わずニヤリとしてしまった。アメリカの大量破壊兵器を査察するだなんて、素晴らしい発想ではないか。
そのメールニュースによると、「巨悪の根絶」は、ボランティアの国際的兵器査察チームをこの冬アメリカに派遣するという意向を表明したそうだ。同グループのスポークスパーソンによると「ブッシュ氏のしていることがヒントとなっている」という。「巨悪の根絶」グループは次のように述べている。
「ブッシュ政権は、最も危険なならず者国家とは、次のようなものだ、と繰り返し言ってきました。
1) 大量の化学・生物・核兵器を持っており、
2) 国連の正当な手続を無視しており、
3) 国際条約に調印したり、それを尊重することを拒んでいる。
ですから、ブッシュ大統領の示した基準にもとづくなら、今の米国政権が全世界の安全保障にとって大変な脅威であることは明らかです」
「私たちは、あのならず者国家にある大量破壊兵器を確認できるよう、ブッシュの手本に従って、米国に対し、即座に我々の査察員が大統領公邸を含め米国の任意の場所に自由に立ち入ることをを認めるよう、要求します」
『巨悪の根絶』HPは http://www.rootingoutevil.org/(英語なので私には殆ど読めませんが)
「巨悪の根絶」には、グリーンピース・カナダ、社会的公正を目指すセンター、トロント反戦反イラク制裁委員会などが参加しており、米国からは、イラク戦争を終らせるための全米ネットワーク、グローバル・エクスチェンジ、平和と自由をめざす国際女性連盟米国支部が加わっていて、いかなる国であれ大量破壊兵器を開発、保管、使用することに反対しているとのこと。
これを読んで、そうだ、そうだと頷いてしまった。私は常々「自分の国の大量破壊兵器も削減(本当は廃絶)するから、そちらのも製造を止めてくれ」というなら納得できるが、自分達は所有していて一部の国にだけ廃棄を求めるのでは、求められた国も納得できまいと思っていた。あの国は何をするかわからないというなら、パレスチナに侵攻するイスラエルだって同じではないだろうか。もちろんいろいろ複雑な事情はあるのだろうが、単純な頭の私にはそう思えてしまう。
とにかく、今朝は朝からこのニュースでうきうきしてきた。今日は誰かにこの話をしなければ・・・
2002/12/1(日) 文庫歴代世話人同窓会
今日は、この間から準備してきた文庫世話人の同窓会の日だ。10月に小平奨励賞を受賞したのを記念して、世話人の同窓会をしようという話が盛り上がって、今日の集まりとなった。今までの世話人66人中22人が集まる。遠く栃木や横浜からも駆けつけてくれて、久しぶりにお逢いすることができて本当にうれしかった。数年ぶりの方も多かったのだけれど、一緒になにかをやった仲間というのは,、久しぶりにあってもすぐに昔の仲間に戻って話が弾むものだ。
草創期の世話人の話に、ひとつひとつ頷きながら聞き入る若い人たち。若い後継者の存在に力強さを感じて喜ぶ先輩達。世話人をしていた時代が違うので、はじめて会った人も多いが、「文庫」という共通点で話がはずむ。仲間っていいなぁと思う。
1人ずつ文庫と自分のかかわりを話す。文庫に通うことで母親の自分ひとりでなく多くの人の目で見てもらいながら子どもが成長できたのが良かったというIさん。自分はあまり本を読まないが、子どもには読ませたかった、でも藤代には図書館がなく困っていたので文庫をはじめというMさん。文庫に通ううちに絵本の読み聞かせをし、人前で話すことが嫌でなくなったというKさん。絵本は年代をこえて読まれるものだと思い、ことしの誕生日に高校生の娘さんに絵本を贈って喜ばれたというOさん・・・
みんなそれぞれの思いを語ってくれた。文庫開設に力を貸してくれた岩本先生も八郷から来てくださって、そのころの話をしてくださった。世話人の中に岩本先生の教え子がいて感動のご対面という場面も!
あっという間に3時間が過ぎた。栃木からきて下さったOさんに、「遠いから無理だと思ったのにきてくれて本当にうれしい。」と言ったら、「こんな風に会えるのは一生の内で今日だけかもしれないと思って、車で送ってもらって来たのよ。夕べMさんから電話をもらって、うれしくて眠れなかったヮ。」と言われた。その言葉がこころに残っている。
後片付けをしてから何人かの人が我が家に来てくださって、夕方までおしゃべりにはながさいた。もつべきものは友達だとつくづく感じた一日だった。
2002/11/30(土) 相澤代氏の日本刺繍
中央公民館で開催している日本刺繍の展覧会を見た。藤代町宮和田在住の相澤代さんという方を紹介する展覧会である。この方は藤代町無形文化財保持者で、日本の伝統工芸である「日本刺繍」の技術保持者だ。父上も同じ日本刺繍の技術者で国の無形文化財だった方である。
刺繍の道具や様々な型紙、刺繍の作品が展示してあった。また、ちょうど相澤氏の実演が始まったところで、一針一針刺していくところを見せていただいた。本当に細かい根気の要る手作業である。絹の布をはった刺繍台の前に正座して、一針ずつ布に通しては下からすくい上げるようにして刺していく。一ミリのすきまもなく丁寧に丁寧に刺していく。こうしてあの素晴らしい作品ができていくのだ。
展示してある型紙は実に繊細で、それ自体芸術作品だと思った。これを小刀で切っていく作業もとても根気の要るものだろう。伝統的な図柄だけでなく相澤氏の独自の図柄もあったように思う。
この展覧会を企画された方は、相澤氏の技術を記録・保存し後世に伝えたいとの思いで企画されたとのこと。相澤氏の刺繍する姿をビデオにとって、それを各学校に配布するという。子供たちにも日本の伝統工芸の素晴らしさを知ってもらいたいと話しておられた。素晴らしいことである。久しぶりに美しいものに触れて充実したひとときを過ごした。
2002/11/28(木) 衆議院外務委員会における河野太郎氏の発言に関して
27日の衆議院外務委員会の様子を衆議院テレビのビデオライブラリで見た。河野太郎氏が川口外務大臣の辞任を求める発言をしたということをメーリングリストで知ったからである。
河野氏が、アメリカのイラク攻撃を支援する時の法的根拠を質問したら、川口大臣が逃げの答弁をした。そのあと河野氏が、
「『イラクが査察を妨害した』といって安保理が集まる前にアメリカがイラク攻撃をした場合、それはアメリカの戦争である。従って、イラクとアルカイダの関係が証明されない限り今のテロ対策特措法で後方支援をするのは無理があるので、その場合は新法をつくるのか。」
と聞いたら、川口大臣は質問とはずれた答弁をした。河野氏は、テロ特措法ではアメリカ単独でのイラク攻撃に支援するのは無理であるという内閣法制局の答弁をもとに、政府の見解を質したのだが、大臣が法解釈には言及せず、イラク攻撃を支援する件についてはまだ何も決まっていないと逃げたので、
「今まで議員でない外務大臣を擁護してきたが、もう外務大臣を守る気はなくなった。」
「当事者能力がない。」
「辞表を出していただくしかない。」
と大臣を厳しく非難し、その後は大臣を無視して副大臣に質問をした。議員個人としてイラク攻撃に反対の立場をとっている池田元久委員長も、委員長の立場から何度も河野議員の質問に対してきちんと答弁するよう求め、河野氏をバックアップ。最後には委員長が、
「今は答弁することができないという答弁だが、これは放置しておけない問題なので、あらためて、政府としての見解を理事会に出してもらう。」
といって終了した。
このテレビを見て、河野氏はなかなかやるなぁと思った。氏の活動については今まであまり知らなかったのだが、与党にありながらこれだけはっきりと物申す姿に好感がもてた。「イラク攻撃に対する支援は今のテロ対策特措法では法的に無理がある」ということを内閣法制局に認めさせたのも立派だった。その裏には、アメリカのイラク攻撃に安易に追随すべきではないという考えがあったのだと思う。河野太郎氏は平和主義者として与野党ともに信頼を集めているそうだが、与党の内部から、しかも外務委員会理事という立場の人間からこのような発言が出されたということの意味は大きいだろう。アメリカ一辺倒の外交に与党の内部から疑問が出されたのだから、野党の議員も大いに元気付けられたのではないだろうか。イラクの問題ではドイツなどもアメリカと一線を画しているようだ。国際社会の中で話し合いで解決できたら良いのだが。
この河野氏の発言についてはメディアではあまり大きく取り上げられなかったようだ。こうしたことをどう報道するかで、政治家に対する国民の評価も変わってくるのだが。
2002/11/27(水) 北朝鮮報道について
拉致事件の被害者の方々が帰国されてから、拉致事件に関する報道が洪水のように流れている。毎日毎日○○さんは温泉に行ったとか、美容院に行ったということまで報道されていることに当事者の方達はどんな思いでいるのだろうか。以前は北朝鮮の拉致によって家族から引き離され、今また日本と北朝鮮の狭間でお子さん達と離れ離れの生活を余儀なくされている。どんなにお辛いかと思うと言葉もない。
それにしても、今の拉致事件関係の報道は余りにも画一化されていると思うのは私だけではあるまい。拉致事件の被害者のお子さんが帰国されたときのことを考えるには、中国残留孤児の帰国者の方たちの現在の様子なども参考になるだろうと思われるが、そうした報道はほとんど見られない。また、在日朝鮮人の方々に対する差別的な言動についての報道もあまりなされていない。報道はもっともっと自由で多様なものであるべきだろう。それこそがジャーナリズムの独自性を保ち、全体主義に流れつつある今の世の中に警鐘をならすことになるのではないか。
そんな思いでいたら、以下のHPに北朝鮮報道のあり方を問う記者会見の模様が載せられていた。今の画一的な報道に対する健全なジャーナリストの危機感が感じ取れてうれしかった。是非ご覧になる事をお勧めしたい。
「北朝鮮報道のあり方」を考える記者会見
2002/11/22(金) 我が家の山茶花たち
朝大根おろしを作ろうと、大根掘りに畑に行ったら、垣根に咲いている山茶花がとてもきれいだった。人目につかない庭と畑の間の垣根に咲いているので、折角咲いたのにかわいそうかなと思いデジカメで写してやった。白い方は花弁の周りだけ薄いピンクでなかなか可憐である。皆様にも見ていただきたい。
2002/11/13(水) 人の善意を踏みにじるとは!
2002/11/19(火) 福島からの便り
昼ごろだった。郵便受けを覗いてみるといくつかの郵便物が届いていた。その中に喪中欠礼のハガキが2枚入っていた。その1枚に友人の苗字を見つけて「あら、親御さんでも亡くなられたのかしら」と思って、もう一度見ると、差出人は男性の名前だった。驚いて文面に目をやる。「妻○○が7月になくなりました」と書かれているではないか。私は「ええっ!」と息を呑んだ。まさか彼女が・・・とその場に立ちつくしてしまった。いつも元気で朗らかな笑い声が印象的な彼女が、どうしてまた!と思った。彼女は大学の1年後輩で、サークル活動でいつも一緒だった。一昨年病気をされたということは知っていたが、元気になられたとばかり思っていた。今年のOG会には姿を見せなかったが、きっと忙しいのだろうぐらいに思っていたが、OG会からいくらも経たないで亡くなられたのだ。おつれあいも息子さんもお医者様だというのに、この若さでこの世を去られるとは! 息子さんが筑波ば大学病院に勤務されることになり、「今度筑波に行くときはまりちゃんの家に遊びに行くから。」と約束していたのに。 ご冥福を心からお祈りする。
2002/11/14(木) ポール・マッカートニー日本公演
昨夜はポール・マッカートニーの日本公演が東京ドームで行なわれた。5万人の観客でドームが埋まったという。多くの方が待ち望んだ公演だった。我が家の息子たちもそのチケットを手に入れて参加した。実は昨日は下の息子の20歳の誕生日で、チケットは父親からのプレゼントだった。
夜遅く息子に電話をする。
私 「公演はどうだった?電話ぐらいくれればいいのに。」
息子 「電話したさ。出なかったんだよ。公演が終わってすぐ、電車に乗る前に電話したんだよ。」
ああそうだったのか。昨夜はいろんな電話が入っていて、ちょうど別の電話に出ているときベルがなって、出ないうちに切れたのがあったが、あれが息子からだったのかと納得した。父親である夫は「どんなだったかきっと電話がかかってくるよ。」と信じて待っていたのに、電話が無くてちょっとがっかりしていたようだったが、その話を聞いて早速私と代わって電話に出た。あとで聞くと公演はとてもすばらしく、息子たちはふたりとも興奮気味だったという。ビートルズのファンクラブを通してチケットを買ったので、席は舞台近くの真ん中だったとのこと。その点も大いに満足していたそうだ。ビートルズ好きの二人だから、ポールの歌声に酔いしれたにちがいない。今朝の朝日新聞にも財津和夫氏の談話が載っていたが、ポールの歌声は伸びがあってすばらしかったという。20歳の記念に良いプレゼントができた。
今日息子と家族一同宛てに一通の手紙が届いた。その手紙は県議選がらみのもので、特定の立候補予定者を応援するというものだ。一昨年だったか心臓手術のため渡米する際に、藤代町をはじめ県内外で広くカンパを募った方が、この町に住んでおられる。街頭での募金やインターネットなどを通じて数千万円のカンパが寄せられたと聞いている。その結果アメリカでの手術が成功し、現在では職場復帰されているとのこと。その方の奥さんからの手紙だった。手術の成功は喜ばしいことだが、この手紙を見て私は非常に腹が立った。
この手紙は、3つの点で多くの人々を冒涜するものであると思う。
この方が本当に、募金によって命を助けられたことに感謝の気持ちを持つなら、今回の選挙で特定の立候補予定者に肩入れしないのがマナーではないだろうか。特定の立候補予定者を推薦する手紙を送られた方の中には対立する予定者を応援する人も多数いる筈である。その方たちがこの手紙を見て、どんな気持ちになるだろうか。そのぐらいの想像力は持ち合わせていても良いだろう。もちろんこの手紙の差出人にも政治活動の自由・投票の自由はあるのだが、せめて募金活動を選挙に利用することだけは避けるべきであったと思う。
- 心臓手術に際して協力した人の多くは、選挙とは何のかかわりも無く、純粋にこの方の命の問題として協力したはずである。寒い街頭で募金を訴えた人も、新聞記事を見たり訴えを聞いたりして募金に応じた人も、純粋に彼の心臓病を案じての行動だったはずだ。それがこのように政治的に利用されるというのはやりきれないことだろう。募金に協力した人の中には、手紙の主が応援するK氏を支持しない人も多数含まれている筈である。この募金活動にK氏が力を貸したのは事実だろう。でもK氏ひとりの力では数千万円という金額は集まらなかったに違いない。多くの人の善意があったればこそだ。それを選挙活動に利用するというのは、純粋に募金に協力した人たちを愚弄するやり方ではないか。事実私の夫なども募金に応じたのだが、憤懣やるかたない様子だ。
また、この手紙の差出人は○○氏の奥さんと「○○さんをたすける会一同」となっていた。この「たすける会」のメンバーは今回この手紙を出すことをご承知なのだろうか。このメンバーの中にもK氏の支持者で無い人が含まれているのではないだろうか。もし知らないでこの手紙を出されたとしたら、その人たちの心も踏みにじることになる。
- 手紙の差出人と私の息子は一面識も無く、この方が息子の住所・氏名を知っているはずが無い。したがって何かの名簿が使われたと思われる。考えられるのは県立F高校の名簿である。この方は現在F高校のPTA副会長だそうだ。そしてこの方の応援するK氏はこの高校のPTA会長を永年務めている。息子はF高校の出身である。ちなみに私の知人でF高校出身の方のところにも同じ手紙が届いている。もし、公立高校の名簿が特定の立候補予定者に流れて選挙がらみで使われたとすると、それも問題だ。
- 募金を選挙運動に利用したことによって、これから同じような募金活動をしなければならない人が出たときに大いに迷惑をこうむるだろう。また選挙に利用されると思って、募金に応じない人が増えることは想像にかたくない。自分だけ募金してもらえば、あとはどうなってもかまわないというのだろうか。
2002/11/12(火) 藤代町小・中学校音楽発表会
今年は教育福祉常任委員に対して音楽発表会の招待状が届いていた。昨年は保護者の後ろの方から聞かせていただいたが、今年は来賓席だった。教育長や副議長、教育委員など来賓が多かった。昔私たちが主催していたころは来賓は無かったし、子どもの人数が多くて保護者も入れなかったほどだった。
今年は小学生は器楽が少なく、ほとんどが合唱だった。みんな気持ちよさそうに歌っていた。大きな口をあけて指揮者をみつめ、心から音楽に入り込んで謳っている少女の姿が美しかった。普段は反抗期で、憎まれ口をきいていそうな中学生の男子が、懸命に歌っているのも素敵だった。昨年藤代中学校の3年生が自作の三部合唱を披露してくれて、それがすばらしかったので、今年も聞けるかなと楽しみにしていたのだが、今年はその出し物は無く、その点はちょっぴり残念だった。
今年は初めての試みとして邦楽の鑑賞があった。地元山王小学校出身の民謡歌手が、津軽三味線と和太鼓の人と一緒に来てくれて、演奏を聞かせてくれた。本物の迫力に子ども達の中にはポカンと口をあけて聴いている者もいた。合いの手を入れる場面も合って、参加者も楽しめたと思う。
最後の好評では、講師の先生が実に温かい言葉を子ども達に贈って下さった。どの学校も良いところだけを取り出して話してくださったので、子ども達には大いに励みになったことと思う。聴いていてとても気持ちの良い講評だった。
2002/11/11(月) 小林町長の口利き疑惑
8日の新聞に「江戸崎町の関川元議長に頼まれて、小林藤代町長が関川元議長の知り合いの女性を県南水道の臨時職員として採用した」ということが報道された。また、関川元議長と江戸崎町長との間をとりもったということも書かれていた。
9日の東京新聞は以下のようである。
八日、同町長は「企業団でアルバイトを探していたので(関川被告に)企業団に行ってみたらどうだと話した」と関与を認め「金銭授受などは一切ない」と断言した。
この記事によると小林町長は県南水道臨時職員採用に関与したと受け取られても仕方が無いだろう。金銭授受が無ければよいというものでもない。人事の透明性が求められているのだから。
前町長の時代には、「役場に入るのにはお金が動く」などという噂をずいぶん聞いたものだが、現町長になってからはそのような噂も聞かず、公募による採用も多くなって、人事はかなり透明になってきたのかと思っていたが、そうではなかったのかもしれない。もし口利きの事実があったとすれば問題である。
2002/10/16(水) 一時帰国
昨日北朝鮮に拉致されていた5人の方が一時帰国された。飛行機のタラップを降りてくる姿をテレビで拝見すると、笑顔も見られてほっと安心した。この二十数年、その時間がどんなに長かったろうか。拉致された方々にも、それを待つご家族や関係者の方々にも・・・・。その間の苦しみは、私のようにのほほんと過ごしてきたものには到底理解できないほどのものであったに違いない。
滞在期間も短く、これまでの空白は取り戻せないにしても、身内に囲まれて充実した日々を送っていただきたい。それには静かな日々が送れるように、マスコミの方々に取材の自粛をお願いしなければなるまい。
家族の会代表の横田さんのお孫さんと目される娘さんが平壌の空港に来ておられたそうだ。横田さんはどんなにその娘さんと会いたかっただろう。13歳で消息を絶っためぐみさんとあまり違わない年齢のその娘さんに、一目会いたいと思われたに違いない。
有本さんはじめ、拉致された人の多くは亡くなったとされているが、その方たちの状況はどうなのだろう。お墓は洪水で流されたというが、お墓が無いということは、どこかに生きておられるのではないだろうか。事実を包み隠さず出して欲しい。政府は詳細な調査を要求し、納得できる報告があるまで何度でも調べることが大切だろう。
2002/10/10(木) 快挙
今年はすごいことになった。1年のうちに二人のノーベル賞受賞者が出たのだから。先日の小柴氏の物理学賞もうれしかったが、今回の田中氏の受賞はそれにもまして世間に明るい空気を振りまいてくれたと思う。博士でも大学教授でもない民間企業の研究者である点、まだ40代という若い研究者である点、どちらも未来への希望を感じさせてくれる。民間企業の研究者でもこのようにすばらしい研究ができること、28歳のときの研究だったということなどから、多くの若い研究者に希望を与えてくれたのではないだろうか。小泉首相は「日本も捨てたものではない」と言ったが、日本の学術研究の高さを世界に示すことができて、本当に嬉しい。
最近経済の低迷、リストラ、企業の不正とその隠蔽など暗い話ばかりが多かったが、この二つのノーベル賞は日本に明るい光を与えてくれた。永年の地道な研究の成果だと思うが、これからもこうした研究者がどんどん育っていくような環境を、国が率先して作っていってほしいと思った。
2002/10/8(火) 小平奨励賞授賞式
8月の末に受賞が決定していた小平奨励賞特別賞の授賞式のため、文庫の世話人4人と日立市の小平記念会館に行く。推薦者として教育委員の三田さんも同行してくださった。会場に着くと受付に大きく「谷中子ども文庫様」と書かれた紙の下がったテーブルがあって、そこに参加者4人に当てて一人ずつの封筒と胸につける大きな菊の花が用意されていた。直径が十センチ以上もあるような大きな菊の花を胸につけられてとても照れくさかった。他の3人も同じように照れていた。
表彰式までは時間があったので、日立製作所の創業者である小平浪平氏の記念館を見学する。日立の第一号作品である5馬力モーターや、初期の機械の手書きによる製図などが展示してあった。欧米の技術でなく日本の独自技術の開発を目指して努力を重ねた先人の足跡を見て、今のような工業の基礎を築くにはさまざまな苦労があったろうと思った。
いよいよ表彰式となって、会場に入ると大きな額が三つ飾られていた。それが私たち3団体に贈られる賞状であった。それは銅版に各々の団体の功績を刻んだもので、立派な額に収まっていた。式が始まる前にその額を膝において写真をとっていただく。ずしりと重いのに驚いた。審査員の方や来賓の方が着席して式が始まった。主催者である小平記念日立教育振興財団の金井理事長から賞状と副賞をいただく。大賞を受賞した日立の渡辺さんが受賞者を代表してお礼の挨拶をした。
そのあと記念撮影をして、ホテルに移動し祝賀会となる。ここでの私の席は文庫の代表者ということでメインテーブルとなっていた。他の3人は一緒のテーブルでニコニコしている。私と三田さんは一人ずつ別のテーブルに分かれて座ることになっていた。私の右隣は茨城新聞社の社長で、左隣は日立電線の相談役、そしてその隣は財団の金井理事長。なんだか偉そうな人に囲まれて、緊張してしまった。三田さんも茨城大学学長と日立市長の間に挟まって緊張気味。食事をしながら受賞者の代表がそれぞれの活動について語り、推薦者が推薦の理由を述べた。県の出納長、教育長など偉い人はいっぱいおられたのだが、なぜか挨拶は緊張せずにできた。
帰りに役場に寄って、町長室で「広報ふじしろ」に載せる写真をとっていただく。町長・助役・教育長がそろってくださり、みなさん喜んでくださった。広報に写真が載るのはちょっぴり恥ずかしい気がする。
家に帰って家族に賞状を見せる。夫も母も喜んでくれた。何と言っても賞状の文言がうれしい。どの団体にも使える通り一遍の文言でなく、谷中子ども文庫の活動をきちんと評価してくれた文章にとても温かみを感じたからだ。今まで27年間の継続の力が評価され、感慨深いものがある。70名ぐらいの世話人の協力と通い続けてくれた子どもたちのおかげである。みんなの力でいただいたこの賞を励みに、これからも子どもたちと進んでいきたい。
2002/10/7(月) ネット依存症
先日のメール事件があってから、いろいろ調べて削除したファイルを復活した。そこへ息子が帰ってきて、新しいCDR-RWをつけてくれることになった。そして「しばらく前からPCの具合がおかしいから、ついでにハードディスクをフォーマットして、すべてのソフトを入れ直してみようか」と言う。私はちょっと面倒だなという気持ちもあったが、PCで作業をしていてちょっと手を休めるとポインタの動きがぎこちなくなるのはやはり苦痛だったので、息子に頼んでフォーマットしてもらうことになった。自分で作った一般質問やホームページなどのデータを保存し、フォーマットに取り掛かる。それは案外順調に終わったのだが、新しくソフトを入れなおす段になって、私の整理が悪いため、ソフトのCDと説明書がばらばらになっていたりして、なかなかうまくいかず時間がかかってしまった。息子にはさんざん叱られるし、時間はどんどん過ぎていくし、情けない状態だった。4,5時間かかっても終わらず、翌日に持ち越しとなった。やっと設定が終わってネットにつなごうとしたのだが、フレッツのHPへのテスト接続はうまくいくのに、プロバイダーにつながらない。何度やってもうまくいかないのでNTTに問い合わせてみると、プロバイダーへの設定に問題があるとのこと、プロバイダーに問い合わせるようにと勧められた。それから何度も何度もプロバイダーに電話したのだが、小さいところなので留守電になっていてつながらない。土・日は休日だったらしい。そうして今日までかかってしまった。その間メールが見られないのでなんとなく不安になってしまった。S氏関連のMLが急な展開をしていることもあり、一日も早くメールを見たかったのだ。見たいHPも見られないでイライラしている自分がいる。これはもうネット依存症かなと思った。
2002/10/3(木) 自己嫌悪
今朝私の入っているMLの人からウイルス情報というメールがきて、「ウイルスのついたファイルがあなたのパソコンに入っているかもしれない。これはウイルス対策ソフトでも検出されないものなので至急検索して、そのファイルがあったら削除し、アドレス帳に登録してあるすべての人に警告のメールを送ってください」というものだった。私は以前2回もウイルス関連でパソコンに異常をきたしていたので、これは大変と思い、さっそく検索をかけるとテディベアのアイコンのあるそのファイルが見つかった。急いで削除し、アドレス帳の人たち全員にBCCで警告メールを送信した。これで一安心と思っていると、数人の方から「今のメールに書かれているウイルス情報はデマである。デマ情報のチェーンメールだから転送してはいけない」という返信をいただいた。これは大変と調べてみると、有名なデマ情報だというではないか。しかもそのファイルというのはWindowsにはじめから含まれているファイルだった。消してはいけないものなのだ。Windowsを使っているPCならどれにも入っているものなのだから検索で発見されるのは当たり前だったのだ。またやってしまった!!何という軽率なことを!と思ったがもう後の祭り・・・・
先日のS氏の件と言い、今回のデマメールと言い、私の軽率な行動が人様にご迷惑をかけることになってしまったのだ。きちんと調べもしないで行動するからこうなってしまったのだ。S氏の件で重々反省したはずではなかったのか!と思うと、恥ずかしくて申し訳なくてどうしてよいかわからなくなってしまった。取りあえずお詫びのメールを再送する。「小泉さんは気にしなくていいよ。最初にそんなメールを出す人が悪いんだから。」という優しいメールが何通か返ってきた。こうして優しくしていただくとますます申し訳ない気持ちで一杯になる。
S氏の件で味わったことをもう一度繰り返してしまうなんて、何と言う馬鹿なのだろうと自己嫌悪に陥っている。信じやすくて軽率に行動してしまうのだ。もう少しじっくり考えて行動しなければならない。ご迷惑をおかけした皆様には心からお詫びを申し上げます。
2002/9/28 沈む思い ふたたび
ここ数日なんとも重苦しい気分が胸の奥に沈んでいる。
先日S氏のことで、経歴詐称があったことはここに記した。昨日はS氏をサポートしてきたメーリングリストに、S氏からの「お詫び」のメールが入ってきた。先日彼が医師資格をもたないと告白したものよりも更に重い内容のメールだった。この「お詫び」の信憑性についても100%信じられるものかどうか、私には分からない。今朝は朝日新聞の朝刊にもこのことが掲載され、新聞社としての「おわび」も出されていた。朝日新聞も地方版で彼のことを取り上げたとのこと。支援するつもりで記事を載せたのだろうが、それが多くの人に迷惑をかける結果になってしまったのだ。調査不十分の記事を書いた責任は記者にもあるだろうが、何と言っても自分の経歴を偽ったS氏の責任は重い。それと同時に、S氏を持ち上げヒーローのように扱ってきたメーリングリストのメンバーにもいくらかの責任はあるだろう。もちろん、MLでの誘いに乗ってろくに情報も得ずに講演会を企画した私たち茨城の実行委員にも責任がある。
S氏が医師ではなかったことを発表したあと、茨城の実行委員の何人かが集まって対策を協議した。その結果、茨城で集めたカンパを返してくれるようS氏に請求することになった。S氏は返却希望者にはお返しすると述べているので、カンパは戻ってくるだろう。しかしカンパをお返しすれば良いというものではない。S氏がどんな人物なのか、沖縄でのNPO申請は進んでいるのか、現地の事務局体制はどうなっているのかなどなど、事前に調べることも無しに私たちは講演会を計画した。もっと慎重であるべきだったと言われれば、一言もない。チラシの配布をお願いした「いばらきコープ」の方や、講演会の案内を掲載していただいた新聞社の方々にご迷惑をおかけしてしまったことが悔やまれる。これらの関係者の方々と、当日参加してくださった方には心からお詫びを申し上げるほかない。
講演会当日は参加者が非常に少なく、ほとんどが実行委員の関係者だった。その時は残念に思ったが、今となってみればそれが幸いだった。いただいたカンパはお詫びして近々お返しする予定であるが、あまり多くの方に迷惑をかけずにすんだのがせめてもの救いである。
今回、このような運動を進めていくことの難しさを痛感した。運動の目的に賛同したとして、果たしてその人がどんな人物なのかをどうやって判断したらよいのだろう。何でも初めから疑ってかかるのもあまり好ましいことではあるまい。。誰かが賛同しているから自分も賛同するのか、メディアで報道されたからとメディアの権威にしたがって行動するのか・・・ 難しい問題だ。今度の件が引き金となって、様々な運動に参加する際にブレーキがかかってしまうのではないかという危惧を抱いている。
2002/9/25 木犀の香りに今は亡き母を思う
家の前の木犀が黄色い花をいっぱい付けて、風が吹くと何ともいえない甘い香りがふうっと漂ってくる。この香りを嗅ぐと決まって亡き母を思い出す。母はもう35年も前に亡くなった。52歳の若さで。この母は私にとって2番目の母である。中国から引き上げてきて、私はこの母に引き取られた。結婚して10年以上子どもが生まれなかったので、弟夫婦の子どもであった私を養女にしたのだ。
私が大学4年生の夏、母は胆石で入院した。手術は上手くいったのだが、腸が癒着して再手術となった。その手術も経過はよく、今日から食事も出来るようになったと私に語ったその日に急変して、父にも娘の私にも会うことなくこの世を去ってしまったのだ。担当医も不思議に思い、解剖した結果、副腎にだけ結核菌があり、その影響で自律神経に異常をきたしたのではないかとのことであった。余りにも急な別れに私は自分を見失って、卒論も手につかなかった。しかし、谷中にひとり残された父はもっと寂しかったのではないだろうかと今ごろになって父の心中を考える。
人が好きで子どもが好きで、ひとりっ子の私だけでは物足りなかったのだろう、留学生の世話を熱心にやっていた。余りにも早いこの世との別れで、やり残したことが多かったに違いない。その時も「せめてあと20年」と思ったものだが、母の歳を過ぎてみると、若すぎたということがなお一層胸に迫る。
この年の秋、母の友人から手紙を頂いた。「木犀の花の咲く頃、お母様の訃報に接しました。」と書かれていた。そのことが妙に心に残って、いまでも木犀の香りに亡き母を思うのである。
2002/9/21 小泉訪朝
17日に小泉首相が朝鮮民主主義人民共和国を訪問して以来、書かねば、書かねばと思いつつ、事の重さに何も書けずに今日まで来てしまった。拉致された方々の思い、ご家族の方々の永年にわたるご苦労と、今回の結果に対する思いは如何ばかりかと察するに余りある。8人の方が亡くなられた。しかも皆さんお若くして命をおとされている・・・ 有本さんのお母さんは「きっと殺されたのです」と涙ながらに語っておられた。どのようにして連れ去られ、北朝鮮ではどんな生活をしておられたのか、何故亡くなられたのか、こうした一つ一つのことを、外務省はきちんと北朝鮮に問い合わせ、回答を得られるよう最大限の努力をしなければならない。そうしなければ拉致された方々のご家族は到底納得できないのだ。
今回の訪朝は、歴史的に見れば画期的な出来事ではある。外国からはかなり評価されてもいるようだ。国交の無い二ヶ国の首脳同士が会談し、曲がりなりにも拉致事件への関与を認めさせ、謝罪のことばを聞き出すことが出来た。何も分からなかった今までと比べれば、やはり一歩前進と言えるのではないだろうか。しかし、共同宣言には「拉致」の言葉も、謝罪の言葉も無い。非常に残念でしかたがない。
国交回復交渉は拉致問題が解決された後で、という主張もあるが、東アジアの安定のためには、国交回復交渉には重要な意味があるのではないだろうか。交渉のなかで拉致問題を最重要課題として、全容解明に向けて取り組んでほしい。
2002/9/17 新米がおいしくて
今月の初めから新米を食べている。ここ数年、我が家では8月の終わりごろからお米の消費調整を行って、新米が出るや否や友人宅に注文する。新米が到着するとあと一日か二日分ぐらいしか残っていない古米を急いで使い切って、新米にありつくのだ。つやつやと光沢のあるごはんは、噛むと弾力があって、ほのかに甘い。これぞ田舎暮らしの特権だと幸せな気分になる。
このお米は親類でも評判で、毎年送っている。おいしい、おいしいと電話がかかってくるのがまた楽しみだ。一時町内でできる果物を送っていたこともあるのだが、私の親類ではお米の方が人気があるようだ。「私にも譲ってもらえないか聞いてくれない?」と言われて、聞いてみると快く承諾してくれて、何人かの親類がその友人宅からお米を買うようになった。叔母のひとりは「きりたんぽをするには谷中のお米でなくちゃだめなのよ」とのたまう。本当は「谷中の」お米ではないのだが。市販のとは粘りが違うのだそうだ。
お米がおいしいのはいい。でも悩みがあるのだ。おいしくておいしくてついつい食べ過ぎてしまう。私はいつも小さなお茶碗に一膳しか食べていないのに、新米が届くとどうしてもお代わりをしたくなってしまうのだ。件の叔母いわく、「私ごはんは一膳に決めてるの。でも新米がおいしくて止まらないから山盛りにして食べてる。山盛りでも一膳は一膳だから。」と。ついついご飯がすすんで、その先にくるものは・・・・ 当分体重計には乗らないことにするんだ(!)
2002/9/16 沈む思い
この夏S氏という人物のサポートをし、つくばで講演会を企画した。そのことは議員の「活動報告」の中にも書いてある。私がサポートをしたのは、地雷で傷ついた子どもたちを呼んで、治療と教育をする施設を沖縄につくろうと全国を自転車で行脚している人だった。つくば国際会議場での講演会には人がほとんど集まらなかったが、いくらかのカンパをすることが出来た。
その企画の途中で、S氏に対するいくつかの疑問が出てきたのだが、彼の大言壮語を諌め、事実だけを述べるように頼んで講演は実行した。その前からサポートを続け、つくばにも付き添って来てくれたT氏は、「つくばでの講演は今までになく誠実で、オーバーな発言も無く良かった。」と言ってくださった。
それから一ヶ月、今月に入ってからS氏のサポートMLで、彼に対する様々な疑問・不審が湧きあがってきて、MLは大いにゆれた。彼が経歴を公表しないことがまず大きな問題になった。S氏の側は、「経歴の公表が何故子ども村建設に必要なのか」と言い、経歴を問う人たちは、おおかた「人を行動に誘うからにはそれなりの責任が伴い、その先頭にたつ人がどのような人物であるかは重要である、サポーターも人を動かそうとして講演会などを企画する上で、S氏の経歴はきちんと把握しておかなければならない。募金してくれた人に対する責任である。」と主張した。何度かのやり取りがあり、感情的なぶつかり合いもあった。私も講演会を企画したひとりとして、おおいに関心を持っていた。もし、S氏が信用できない人物であったら、私を信じてカンパをしてくださった方、私が依頼してチラシを配布していただいた方たちに対して、どのように責任を取ったらよいのかと悩んでしまった。
昨日になって、S氏はML上で自分の経歴を公表された。行脚の途中で多くの新聞に取り上げられたが、そこでは「医師」「戦場医」と書かれていた。多くの新聞記事には、日本では医師の資格が無いが、アメリカでは医師の資格を有しているかのように書かれていた。ところが、「自分はいかなる医学校にも行ったことは無く、医師の資格も持ち合わせていない。」と明言されたのだ。そうだったのか、やっぱり・・・という気がした。つくばで講演会をした日、講演を聞いていた私は、「もしやこの人医者では無いのでは?」と感じたからだ。
「しかし、戦場で医師の指導のもとに治療行為をし、現地では医師として活動していたのは事実である。断続的に20年間ぐらいそのような活動をしてきて、戦争に対する激しい怒りを持つようになった。戦争で傷ついた子どもを救いたいと言う思いにはうそ偽りは無い。自分の経歴に関して、『医師』と書かれてもそれを否定しないできてしまったが、それらのことは反省している。事実と異なる言動もしてしまった。だが、頂いたカンパを私的に流用したことはない。返還を希望される方には返還する用意がある。今までの言動の責任を取って、今後は信用を得るまでカンパの要請は自粛し、報道機関のインタビューにも応じない。戦火に傷ついた子どもたちを助けたいという気持ちは変わらないので、できればこれからも支援をお願いしたい」との表明をされたのだ。最初からこのように正直に運動を進めてほしかった。
募金が既に1億円も集まったとか、建設地の用意があるとか、事実と違うことを報道機関に話してきたことは責任が重い。そのことを信じて運動に参加しようとした人たちを裏切る行為である。素晴らしい理念を持ちながら残念でならない。
ところで、MLでS氏へのサポート呼びかけを見て、さっそく飛びついた自分はどうなのか。自分が運動に加わることによって、賛同してくださった方もある。そのことの責任をどう考えるのか。この数日胸の奥にこの思いがわだかまっている。
今S氏は大きな決心をして真実を語ったのだと思う。沖縄には土地も無い、組織も無い、そして自分は医者でもなくひとりの医療従事者だった。多くの方から経歴詐称のそしりを受けるかもしれない。もちろんそれらは全てS氏自身に原因があることではあるが。集められた募金は、必要な方には返還する、私的な流用は無いという言葉を信じて、もう少しの間見守っていこうかと思っている。かつては戦場となり、今は米軍の基地に囲まれた沖縄に、戦場で傷ついた子どもの治療施設を作るという考えは素晴らしいことなのだから。万が一、沖縄に帰って会計報告をするという約束が反故にされたら、その時は私も責任を取って、自分がお願いした人たちに己の不明をお詫びし、寄せられたカンパをお返しすることにしたい。
2002/9/15 お手上げ&頑張りやさん
私は時々中学生と数学の勉強をしている。中学1・2年生ぐらいの数学を考えるのは頭の体操としてちょうど良いのだ。3年生となるともう危なくなってしまうのだが。下の息子が中学1・2年生の時も一緒に勉強していた。そのころは、英語や社会なんぞにも挑戦していて、「この分なら今からでも高校に入れるぞ」などと言っていたものだ。それで調子に乗って、今も何人かの中学1年生と数学の勉強をしているのだが、おっとどっこい、昨夜の問題で私の化けの皮がはがれてしまった!高校に入れるどころではない。中学1年生の問題が出来ないのだ。方程式を使えば簡単に出来るのだが、彼らはまだ方程式を習っていない。だとするとどうやって解いたらよいのか、今もって分からない。専門学校に行っている息子にも聞いてみたが、彼も方程式を使わなければ解けなかった。以上が私のお手上げの話。
ここからは「頑張りやさん」の話。昨日の勉強相手は3人だったが、この問題は3人とも出来なかった。3人とも頭をひねって、図を書いたり、例えば・・・と数字を当てはめてみたり、試行錯誤を繰り返していた。そして、解けないまま9時半を回って、家族の迎えが来た。帰る時一人の男子が言った。「今日これを宿題にしよう。今夜は寝ないで考えてみる。」!!!!!! ああ、我が家の子どもたち(勿論おとなたちも)との何と言う違い!昨日は中学校の体育祭で子どもたちはかなり疲れていたのだ。数学をしに来ただけでも驚きなのに、そのうえ夜も寝ないで考えるとは!世の中には頑張りやさんが居るものだと驚くやら感心するやらの昨夜であった。
2002/9/11 9.11に思う
あれから1年が過ぎた。昨年の9月11日、私はテレビに釘付けになっていた。こんなことが現実に起こりうるのだろうかと思いながら。飛行機が突っ込んで、そのあとビルが崩れた。その崩れ方は何かが溶けていくようで、メルトダウンという感じがした。そして多くの人命が失われたのだ。たとえどんな理由があるにせよ、テロは許されるものではない。亡くなられた多くの方々のご冥福を祈るばかりである。
テロの原因のひとつは南北の格差であろう。貧富の差が大きく、あまりにも違いすぎる世界の現状。冷戦の終了によってアメリカだけが超大国となり、やりたい放題のことをやっている。自分の国では核兵器をもち、臨界前核実験をしながら、お前たちは持つな、もったら制裁を加えるぞ、という論理を受け入れられない国があるのは当然だろう。私たちも核兵器を廃絶するから、君たちも作らないでくれというなら説得力があるのだが。しかし、これは一人アメリカだけの問題ではない。五カ国だけが拒否権をもつ国連自体が不平等で、それらの国々は核兵器を持っている。イスラエルの核開発は認め、イラクや北朝鮮の核は認めない。これでは納得できないだろう。私は単純だからすべての国のすべての核兵器を廃絶してもらいたい。いや核兵器だけではない。すべての兵器をである。人殺しの道具など作らないで、どうしたらすべての人々が満足に食べられるか、寒さから身をまもれるか、そのことを考えてほしい。本当に単純な、小学生のような意見だと笑われるかもしれないが。
昔の戦争では亡くなるのはほとんどが軍人だったそうだが、今の戦争では亡くなる人の9割が民間人だという。子どもの犠牲者も多い。何の責任も無い、もっとも弱い立場の子どもたちが苦しんでいる。アフガニスタンでもパレスチナでも一面にばら撒かれた地雷が容赦なく子どもたちに襲い掛かる。将来の戦闘員を作らないために子どもの足を吹き飛ばす。地雷は非人道的な兵器であるなどといわれるが、人道的な兵器があろうか。人殺しの道具はすべて人道的ではないのだ。核兵器は勿論、地雷も、劣化ウラン弾も、通常兵器も!
強大な石油資本および軍需産業と結びついたブッシュ政権は、石油の利権確保のためにテロとの対決を理由にしてアフガニスタンを空爆したのだという。テロと空爆。暴力が暴力を生む世界。終わり無き暴力の連鎖。どこかで断ち切らなければならない。それなのに、今、アメリカはイラクを攻撃しようとしている。今、私たちの頭上に突然飛行機が飛んできて爆弾を落としていくことを考えたら・・・・。 イラクの空の下にも私たちと同じ人間が暮らしている。アメリカのイラク攻撃を止めさせるよう日本政府が外交努力をしてほしいところだが、悲しいかな、有事法制を制定してまでアメリカに協力しようとしている小泉政権下では望むべくもあるまい。
私たち日本人の中にも、「テロにも報復戦争にも反対!」という運動をあちこちで繰り広げている人が居る。この力を大きくしていかなければならない。そんなことを言っても、私はせいぜい署名を集めるぐらいのことしかやっていないのだが。ひとりひとりが自分のできるところでその意思表示をしていくことが大切ではないだろうか。それが大きなうねりとなったとき、大きな力が生まれるだろう。そう信じたい。
2002/9/10 ばったり教え子と会う
夕方、議会が終って主婦となり、スーパーで買い物をしてレジに並ぼうとしたら、後ろから「先生?」という声がした。見ると30代と思われる女の人が私を見てにっこり微笑んでいる。「誰?」と言う間もなく「Sです。」と言われた。よく見ると面影が残っている。声もそうだった。「ああ、Sちゃん」と言ったら、「そう、今○○で働いているの。」と言う。「それなら時々会ってるかもね。」と言うと、「そうよ、先生のこと見かけたよ。」と笑った。「あら、気が付かなかったよ。だって私のSちゃんは、こんなに小さくてかわいかったんだもの。」と、手を胸のあたりに置くと、「私の先生だって、今と違ってたよ。」と言われた。そういえば彼女は私の二年目の教え子で、当時の私は7号の服を着るような体型だったっけ。「こんなデブちゃんじゃ無かったって言うの?」と聞き返したら「ふふふっ」と笑っていた。
別れてから、「あの頃は私も二十代の前半で、若かったなぁ、あの子たちとはよく土手や河原で遊んだっけ。どっちが遊んでもらってるのか分からないって先輩の教師に言われたなぁ。」などと思い出しながら車の方へ歩いている時、自然とニヤニヤしている自分に気が付いた。なんだかあったかいものが胸の中に広がった気がした。
2002/9/3 許せない!東電のトラブル隠し
8月29日、東電原発のトラブル隠しが明らかになった。私はもともと原発には反対であるが、国も電力会社も長い間原発は安全であるかのごとく宣伝してきた。そして原発で作られたプルトニウムの再利用も計画している。そこにこの事件!人の生命を何と思っているのか。一度原発で事故が起こったら取り返しがつかないことになるということは、スリーマイル島やチェルノブイリの事故ですでに分かっていることではないか。東電のトラブル隠しはチェルノブイリ原発事故のあとから起こったという新聞記事を読んだ。チェルノブイリの事故で国民の多くが原発に不安を感じるようになったので、トラブル隠しが行なわれるようになったのかもしれない。トラブル隠しの記事を読むと、重要なトラブルもあるという。そして、トラブル隠しの行なわれた13基の原発のうち8基の原発は全く未修理のまま現在も運転されているのだそうだ。そのトラブルの中には極めて重要な機器における亀裂などが含まれているとのこと。到底許されないことだ。
このような事実が明らかになった以上、徹底的に事実を究明し、二度とこのようなことが起こらないシステムを整備しなければならない。それが国や電力会社の責務である。しかし、国や電力会社にまかせておいたのでは安心できない。経済産業省の「原子力安全・保安院」は定期検査の簡略化をめざしているそうだ。このような事態を招いた以上、簡略化は許されない。むしろ点検の強化を図るべきである。世界の流れは脱原発が主流になってきていると思う。日本は原発重視だが、経産省も今後何年かのうちに原発にたよらないエネルギー政策を立ててほしいものだ。この問題については原子力資料情報室のHPを参考にしていただきたい。
2002/9/2 当 確
昨夜のことだ。なんとなくテレビを見ていたら、「長野県知事に田中氏当確」という文字が目に飛び込んできた。えっ、今何時?と思って時計を見ると8時1分ではないか。いくらなんでも間違いではないのかと思って、もう一度見てみると、田中氏がコップを持って乾杯のような格好をして写っている。ええっ!いくらなんでも早すぎない?と思った。「たった今投票を締め切ったばかりで、まだ投票箱の運搬も始まっていないよねぇ。」と家族と話す。息子は「これじゃあ他の人はたまんないよなぁ。」と言う。「さて、投票率は?開票はどうなってる?」と見る間もなく、田中氏の当確報道。事前の情勢から田中氏の優勢は伝えられていたし、出口調査でそれが裏付けられたのだろうが、あまりの速さにただビックリするばかり。何時間か経ってニュースで開票結果をやっているのを見ると、結果は最初の報道どおり田中氏の圧勝だった。それにしても報道機関の素早さには驚いた。
2002/8/26 南中女子バスケ全国ベスト4!
昨日の茨城新聞を見たら、南中の女子バスケット部が全国中学生体育大会でベスト4になっているという記事を見つけた。昨日が準決勝・決勝の日だという。夜になって、さて南中はどうしただろうと思い、誰かに電話して聞こうかと思ったが、「待てよ、全中ぐらいになればネットに出ているかも知れない」と思い検索してみたら、やっぱり出ていた。南中は準決勝で埼玉の児玉中とあたり、惜敗。児玉中には関東大会でも負けたと言う話を聞いていたので、準決勝の相手が児玉中でないことを願っていたのだが、運悪く児玉中と当たってしまったのだ。
準決勝の試合は相当な接戦だったらしい。前半は19−19で折り返し、第3ピリオドの途中で南中が4点リードしたが、そのあと児玉中のシュートで同点、それからも激しい攻防が繰り広げられたという。試合の戦評にも「終始全力でプレーした藤代南中とどんな状況下に置かれても冷静に戦い抜いた児玉中の戦いは46−35で児玉中の勝利となり、決勝戦進出を決めるにふさわしい壮絶な試合となった」と書かれていた。
南中の選手はもとより、全生徒、先生方、そして保護者の方々もこのすばらしい成績に喜んでおられることだろう。おめでとう!選手のみなさん。藤代町に明るい話題をもたらしてくれてありがとう!
2002/8/19 ヨーロッパの大洪水からの連想
100年ぶりというヨーロッパの大洪水はとどまることを知らないようだ。歴史的な町並み、美しい建造物などが水につかっている。多数の死者や避難民が出て、ヨーロッパ全体で支援の輪が広がりつつあるそうだ。旧ユ−ゴスラヴィアに居るであろう昔の友人デビデさんはどうしているだろうか。ユーゴは大丈夫なのだろうか。この人とは交信が途絶えて既に30年以上経つだろう。昔東大の大学院に留学していたころは、母国ユーゴスラヴィアのザグレブ大学の先生だった。ユーゴの内戦の時は本当に心配だった。今回の異常気象による大雨も心配だ。当時5歳だった息子さんは、ユーゴ内戦の時は兵士になった年代ではないだろうか。音信が途絶えて久しい今、彼らの消息を知る術は無いのだろうか。
2002/8/18 愛媛のつくる会社会科教科書採択
愛媛県に来春開校する中高一貫校の中学校社会科教科書として扶桑社の教科書が採択されてしまった。昨年の採択時期には、危ないと言われていた教育委員会に意見書を送ったりしてずいぶん頑張ったはずなのに、今回私は何もしないでみすみす採択を許してしまったのだ。たとえ私が反対の意思表示をしようとも結果は変わらなかったに違いない。それでも何の行動も起こさなかったことを恥ずかしく思う。危険性は感じていたのに、どこかに諦めの気分があった。県知事の強力な後押しがあり、教育委員会も採択の見通しというニュースを知った時、たとえわずかな力ではあっても、せめて教育委員会に対して反対の意思表示ぐらいはすべきであったと反省しきりである。
2002/8/8 ツクツクボウシ
3日ほど前の夕方、ツクツクボウシの鳴き声を初めて耳にしたと思ったら、今日はもうツクツクボウシがあちらでもこちらでも鳴いている。まだまだアブラゼミの声のほうが大きいが、ツクツクボウシがアブラゼミに取って代わるのも時間の問題だ。初めてツクツクボウシの声を聞いた時、まだ立秋でもないのに・・と思ったのだが、確実に季節は移り変わっている。
2002/8/6 第57回ヒロシマ原爆記念日に
今日は第57回の広島原爆記念日だ。8時15分、テレビの合図に合わせて黙祷をささげる。
今朝の広島市長の平和宣言はなかなかのものだった。非核三原則の見直しまで口にする閣僚のいる、今の政府の人間にはとても言えないものだろう。アフガニスタンや中東の紛争はいまだ解決されず、インド・パキスタンの抗争も続いている中、核兵器の使用や核戦争の危険が高まっているとの認識のもとに、「憎しみと暴力、報復の連鎖を断ち切る和解の道を!」と訴えている。アメリカに対しても、名指しで「人類を絶滅させる権利をあなたがたに与えてはいない」と言い切っている。聞いていて胸がスカッとした。そして、有事法制を定め、戦争ができる普通の国にしようとしている政府にも痛烈な一撃を加えている。「日本国憲法第99条は『天皇又は摂政及び国務大臣・国会議員・裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』と規定しています。この規定に従うべき日本国政府の役割は、まず我が国を『他の全ての国と同じように』戦争のできる、『普通の国』にしないことです。すなわち、核兵器の絶対否定と戦争の放棄です。その上で、政府は広島・長崎の記憶と声そして祈りを世界、特にアメリカ合衆国に伝え、明日の子どもたちのために戦争を未然に防ぐ責任を有します。」との宣言文は、平和を愛する国民の多くに拍手を持って迎えられたに違いない。
ところが、小泉首相は平和記念式典では非核三原則の堅持を口にしながら、福田官房長官の非核三原則見直し発言を容認し、野党の罷免要求を退けてきた。そして、今日の「被爆者団体から要望を聞く会」を欠席した。理由は厚労相との役割分担との事だが、平和記念式典に参列した歴代首相で初めてだそうだ。それだけではない、高齢被爆者が入院加療している施設への慰問も取りやめたのだ。「被爆者の切り捨てだ」との声には「被爆者の実情はよく理解している。それで十分だと思っている」と答えたとのこと。これが唯一の被爆国の首相なのだと思うと情けない。
57年経ってもまだ被曝の後遺症に苦しむ人がいる。心の重荷を背負って生きている。そのことがどんなに苦しいか、想像に余りある。それなのに、アメリカはイラク攻撃に核の使用も辞さない構えのようだ。今回の広島の平和宣言には「ブッシュ大統領に広島・長崎を訪れること、人類としての記憶を呼び覚まし、核兵器が人類に何をもたらすのかを自らの目で確認することを強く求めます。」と書かれている。本当に世界の指導者には是非広島・長崎を訪れて、核の恐ろしさを知ってほしいものだ。
2002/7/27 水は電気をとおさない!
今日のテレビにはビックリした。水は電気を通すとばかり思っていたら、電気を通さない水があるのだ。「水がある」というよりは純粋な水は電気を通さないのだそうだ。普通の水が電気を通すのは、水中の不純物が電気を通すのであって、水そのものは通さないとのこと、本当に驚いた。水の中の不純物を取り去り、純水・超純水というふうに純度を上げていくと、電気を通さなくなるというのだ。超純水というのは50m.プールいっぱいに水を満たして、その中に入っている不純物の量が耳掻き一杯分ぐらいだそうだ。この水の中では電気製品がショートしないので、水中でゲームボーイをやっても大丈夫なのだ。その映像はちょっとした衝撃だった。まさにカルチャーショックである。
水は電気を通さない、水は電気を通さないと何度も心の中で繰り返してしまった。今日のテレビはそれくらいビックリものだった。
2002/7/26 弁護士との相談
今日は川田議員、朝比奈議員と三人で水戸の法律事務所へ相談に行ってきた。かなり前のことになるが、あるHPに事実と異なることを実名で書かれて迷惑していることについて、名誉毀損の訴訟が成立するかどうか相談に行ったのだ。弁護士の話によると、明らかに事実と異なるようだから訴訟は成立するし、十分勝算もあるとのことであった。わたしたちが発言を封じ、疑惑を封じ込めたかのように書かれているが、それは事実を捻じ曲げているので、それによって議員としての名誉が傷つけられたということは十分考えられるとのこと。やはり弁護士である。きちんとしたアドバイスをしてくれた。
問題の書き込みは3月になされたものなので、今考えると、その時にきちんと抗議しておけば良かったと思う。今日相談に行ってみて、今後もネット上で事実無根の書き込みをされては迷惑なので、きちんと対応しようかと思っている。
2002/7/14 月下美人
二三日前から大きくなっていた月下美人の花が咲いた。一輪だけだが、かなりの大輪だ。夜9時ごろ夫が「月下美人が咲いたぞぉ」と言うので、玄関に行ってみると真っ白な花が咲いていた。孔雀サボテンと同じような花だが、寿命が短いので珍重されるのかもしれない。純白の花は凛として美しかった。
2002/7/11 嵐のあと
台風6号も、藤代周辺ではたいした被害をもたらさずに過ぎていった。夕べは雨風が結構強かったが、朝起きると昨夜の台風は嘘のよう。目が覚めたのは朝の5時半頃だった。風はまだすこし強かったが、雨はすっかり上がっていて、空は久しぶりに真っ青、秋の空にかかるような白いすじ状の雲がかかっていた。
昨年の大雨の時、小浮気の北浦川の水があふれたことを思い出し、その場所に行ってみたが、今回はあふれた様子は見られなかった。昨年土嚢を積んだのが良かったのかもしれない。水は濁っていたが水位はあまり高くはなかった。それでも流れは速く、ゴミを巻き込みながら国道にかかる橋の橋脚にぶつかっていた。
夕方利根川を見に行った。雨が降り出してから1日以上経ったので、かなり増水していた。いつもは葦などの草の中に立っている河原の木々が、水につかって頭だけ水の上に出している。かなり深そうだ。土手の中段も水にもぐってしまって、対岸まで一面の水。小貝川との合流点なので、川幅は1km以上あるだろう。普段は川幅の三分の一にも満たないくらいの流れなのだが、今日は川幅いっぱいに流れている。上流から運ばれてきた枯れた葦などが、風に吹き寄せられて土手の近くに集まっていた。こうして川幅いっぱいに水が流れると利根川は広い!さすがは坂東太郎だ。
川を見に行く途中で、何台かの消防自動車に出会った。消防署の人や、消防団の人たちが河川の見回りをしているのだ。夕べも泊り込みで見回りをしてくれたのかもしれない。役場の土木課の職員も排水機の管理のために夕べは泊まり込みだと言っていた。おもてには見えないところで安全を守ってくれる人たちがいる・・・。
2002/7/10 小平奨励賞の現地調査
今年度の小平奨励賞に、教育委員会の推薦を受けて「谷中子ども文庫」が応募していたのだが、その現地調査が今日行われた。応募総数25で、そのうちから書類審査で10に絞ったものについて、現地調査をするのだそうだ。まず、田島さんと榎本さんと私が教育委員会に行き、日立製作所から来た二名の審査員の方から色々と質問を受けた。文庫開設の動機、実際の活動、効果、他の文庫と比べての優位性、今後の展望などなど・・・ とにかく県内には「谷中子ども文庫」ほど長期に渡って活動している文庫は数少ないということ、子どもの自主的な活動を応援していること、お母さんたちの自由意志によるボランティア活動であることなどを話したのだが、果たしてどのように感じてくださったか。
そのあと、実際に文庫を見ていただく。文庫には若い世話人の方たちに待機してもらっていた。わが「谷中子ども文庫」は世話人の交代がスムーズに行き、若い人の参加があると言うことをアピールしたつもりだ。
望みは大きく「大賞を」と願っているのだが・・・ 結果は来月頃分かるらしい。期待して待つことにしよう。