ひとりごと 2003


4 月


2003/4/30 チェルノブイリの子ども達帰国  
ハルフロボの子どもたち この3月に来日し、37日間滞在したチェルノブイリの子ども達(ハルフロボ村から来日)が、26日に日立から我が家に戻ってきて、翌日成田から帰国した。7歳・8歳の子ども達が1ヶ月以上も親元を離れて遠い日本で過ごしたので、ホームシックにならなかったかと心配していたのだが、どの子もホームシックにかからずに過ごしたそうだ。きっとベラルーシの親達の方が子どもシックにかかっていたかもしれない。
 1ヶ月の保養で意味があるのかという考えもあるそうだが、とにかく子どもたちは日本の生活を満喫し、楽しい日々を過ごしたようだ。今年の子どもたちは体内放射能が今までの子ども達より多かったそうだが、昨日の電話で、帰国後の数値は0になっていたと聞く。放射能汚染の無い食事をとることと、体内放射能を排出させる働きがあるというビタペクトを1ヶ月間飲み続けることで、彼らの体内放射能が排出されたのだろう。それにしても0とはすごい数値だ。検査が間違っているのではないかと思ってしまうほどである。今までは10歳前後の子ども達だったが、今回それより2歳ほど年齢が低かったことが、数値の改善に関係しているのだろうか。ともかく効果があったらしいことがわかり嬉しかった。しかし、帰国してまた汚染のある食物をとらなければならないのだから、体内放射能は増えてしまうのだろうと思うと、喜んでばかりもいられないのだが。


2003/4/25(金) 北朝鮮の核 
 米朝協議の中で北朝鮮は核兵器の保有を明らかにした。本当なのだろうか。先ほどのニュースでは、アメリカは事実だと受け止めているようだが、日本や韓国では単なる脅しではないかとの見方もあるようだ。今まで核実験をした様子が無いのだそうだ。核実験無しに核弾頭をつくることは出来ないとのことだ。しかし、アメリカでは以前から北朝鮮が1個か2個の核爆弾を持っていて、ミサイルに搭載できる状態にまでなっているという観測もあるという。核の保有が事実だとしたら、日朝ピョンヤン宣言に反するものだと思う。北朝鮮が核をもったら北東アジアの安全が脅かされる。近々南北の協議があるようだが、その中で韓国は核問題を議題にし、核の廃棄を求めていくと言っている。外交努力で核の廃棄が出来るよう、中国やロシアにも協力を求めるべきではないだろうか。


2003/4/24(木) 「子どもと読書」の反応 
 先日雑誌「子どもと読書」5・6月号の図書館コーナーに「藤代町の図書館ができた!」という原稿を書いたのだが、それを読んだ知人から「開館に拍手、住民の意見が入った図書館を見てみたい」という反応が返ってきた。その知人「Iさん」は、昨年の夏にちょこっと知り合った方で、県外に住んでおられる。個人的に話したことは殆ど無い方だが、Iさんと私の共通の友人であるMさんの掲示板に書き込んでくださったのだ。町内では図書館建設について財政逼迫の元凶の如く言われたりしているが、こうして喜んでくださる方の存在はとても励みになる。フラワーカナルのおまつりのころに見に来てくださるとのこと、今から楽しみだ。来てくださったなら、ついでに文庫も見ていただくつもりである。


2003/4/18(金) 桜川村のチューリップ 
 今日は初夏のようなお天気で、少し外に出ていると暑いくらいだ。お天気に誘われて、先日新聞で紹介されていた桜川村のチューリップ畑を見に行く。車で約1時間で桜川村の和田公園に着いた。駐車場には車がいっぱい。どこかの老人福祉施設の方たちが来ていたらしく、車椅子の方が大勢見物しておられた。介助者に車椅子を押してもらって花を見ている姿はとても気持ちよさそうだった。
 20万本というチューリップは満開をやや過ぎた感じだったが、まだまだきれいに咲いていた。色とりどりで、形もいろいろだ。花弁がとがったもの八重咲きのものなど、普段あまり見かけない種類の花もある。びっくりするくらい大きな花もあった。全体が平坦なので車椅子の人も安心して見て回れる。
 桜川村のお土産として、淡水魚の佃煮と漬物を売っていたので、買って帰る。おみやげ売り場の人に聞いてみたら、あれだけの花の植え替えはシルバー人材センターの人がやっているらしい。お年寄りの仕事場でもあるのだ。来年は母も連れて行ってやろう。あそこならシルバーカーを持っていけば、母も歩いて回れそうだ。


2003/4/13(日) 80の祝 
 今日は母の二ヶ月遅れの誕生祝をした。満80歳の誕生日だ。久しぶりに私の兄弟の家族が集まってにぎやかだった。子ども達が小さかったころは、お正月もお盆もまるで民宿のように大勢の家族が勢ぞろいしたものだが、最近は子ども達も大きくなってしまい全員が集まることもなくなってしまった。母の80歳のお祝いを機に全員集合できるかなと思ったが、孫の二人と兄の奥さんの都合が悪く、全員集合はならなかった。それでも叔母を加えて総勢17名はなかなかのものだ。孫達からプレゼントされた特大のケーキにナイフを入れる母の満足そうな顔。久しぶりに母を真ん中にして家族の集合写真をとった。飲んで食べておしゃべりして・・・・みんな満足のいい一日だった。


2003/4/9(水) ミズバショウ 





 県北にある緒川村の「やすらぎの里公園」に咲いているミズバショウを見に行った。藤代からは約110キロぐらいだ。このミズバショウは先日の茨城新聞に紹介されていたのだ。尾瀬のミズバショウは有名だが今まで見に行く機会がなかった。せめて県内に咲いているのでも見てこようということで出かけたのだ。公園の入り口の隣りに休耕田があって、そこで栽培しているのだ。自然に生えているのを見たかった気もするが、これはこれでなかなかきれいだった。水が温かくなってきたのだろう、おたまじゃくしがたくさん泳いでいた(3)。あまり大きくないのでアマガエルのおたまじゃくしだったかもしれない。このごろ家の周りではおたまじゃくしもあまり見なくなったので、とてもかわいらしい気がした。その公演の北側斜面にはカタクリが咲いていた(4・5)。カタクリの花は写真でしか見たことが無かったが、紫の可憐な花だった。北側の斜面に咲いているということは、あまり日当たりの良い場所は好まないのだろうか。
 帰りに物産店に立ち寄る。このあたりで取れる蕎麦や、乾燥したきのこ、農家からの取れたての野菜などが並んでいた。蕎麦と切干大根を買う。食堂も併設されていたので、そこでお蕎麦を食べた。何故か食堂の片隅に宗次郎のコーナーがあり、宗次郎の写真と色紙、それにオカリナが飾ってあった。
 帰り道におもしろい看板を見つけた。「風車の弥七の墓」と書いてある。テレビの水戸黄門でおなじみの弥七だが、実在したとは思わなかった。小野小町の墓が全国にあるように、弥七の墓も作られたのではないかと思ったが、村のHPによると、モデルとなった人物が実在したのだと言う。その人物の墓があるそうだ。
 県内とは言っても、緒川村や御前山村の方には行ったことが無かった。緒川村の「やすらぎの里公園」はかなり広くて、オートキャンプ場や、バンガロー、テニスコート、バーベキュー広場などがそろっている。子ども会などの宿泊にはなかなか良さそうだった。村としても観光にかなり力を入れている感じだ。


2003/4/6(日) 森のおく 
 友人の主宰する劇団「MAOMAOジャングル」の旗揚げ公演、ミュージカル『森のおく』が、さいたま芸術劇場小劇場で行われた。劇団「MAOMAOジャングル」は、劇団とは言っても演劇やミュージカルの経験の殆どない人たちの集まりである。この劇団には息子が音響担当として参加しており、息子にとっても始めての経験だった。私も受付のお手伝いで朝から出かけて行く。
 2月1日に1回目のリハーサルを見ていたのだが、そのときと比べてどのメンバーも格段に上達していた。この前見せてもらったときは照明も無かったので、全体のイメージがつかめない部分もあったが、今日は照明が入って雰囲気も盛り上がっていた。なんと言ってもキャストの動き、表情などが前回とは雲泥の差だ。声ものびやかになって、動物の踊りもとても楽しそうな感じに仕上がってきていた。2ヶ月でよくここまで・・・と、見ている私も胸が一杯になる。満員に近い会場では、小劇場の良さが出ていたと思う。会場と舞台がひとつになって、温かいものを作りだしていた。
 受付にいると、公演が終って出てくる人の表情が見える。多くの人が「舞台を楽しんだ」という、ゆったりとした表情で出てこられた。キャストの一人が「お客様に助けられて、こちらも頑張れた」ということを言っておられた。大勢の観客の前で演じることは初めての方だったが、観客の力というものを強く感じたとのこと。充実感に満ちた表情でそう話されたのが印象に残っている。
 「この世界は人間だけのものではない。生きているって素晴らしいことなんだ。人間の命も動物たちの命も、あらゆる生き物の命が大事にされる世の中になってほしい。」というメッセージが、子ども達にどれほど伝わっただろうか。心の奥深くに命の大切さが染みとおっていてくれたらと思う。
 夜の部が終って片付けをして、私が帰宅したのが11時近くだった。
 
 これで今日の「ひとりごと」は終るはずだったのだが・・・・。
 夜中の1時近くに打ち上げの終った息子から電話が入る。「電車が松戸までしか行かないから、松戸の漫画喫茶ででも時間をつぶして、明日の朝帰る。」というのだ。夫が「松戸まで迎えに行こう。」と言うので、行くことにする。夫は飲んでいるので私の運転だ。松戸駅はよく分からないし、夜中の運転もしたことが無いので、夫も一緒に乗って行くことにする。大型の貨物車がビュンビュンとばして行く間をぬって走る。途中早めに市街地の方に入った為、道を間違えたりして、1時40分を少し過ぎたころ松戸に着いた。

 息子は駅への曲がり角に立っていた。運転を息子と代わって私は後ろの座席に座る。二人で今日のことについて話が弾んだ。お客さんの入りのこと、キャストの動き、照明、息子の担当した音響、打ち上げ会でのメンバーの様子などなど。息子はテンションが上がっていて家に着くまで話し続ける。よほど心が動かされたらしい。やりきった満足感、劇団のみんなとの一体感などが伝わってくる。今までCD制作の技術者になりたがっていたが、ミュージカルや演劇の音響も面白そうだななどと言い出す。夫は見ていないので終始黙って聞いていた。息子の初舞台なのだから見てやればよかったのにと思いながら、息子と二人しゃべり続けた。
 結局家に着いたのは2時半を回っていた。眼が冴えて眠れないので水割りをいっぱい飲んで床に入った。



2003/4/2(水) 禅林寺墓地 
 昨日三鷹市にある禅林寺を訪れた。駅から延びる禅林寺街道を南へ下ると、突き当たりに真っ白な築地塀が見えてくる。その塀の上にかぶさるように、まさに満開の桜が咲きほこっていた。近づいて見ると、桜の花びらは一枚も散っていないという感じで、ところどころにまだ蕾が見える。あと一日か二日したら風で花びらが散り始めるのではないかと思うくらいの咲き方だった。塀に沿って歩く。少し行くと曲がり角に来たので更に南へ折れると、道の左側にまた桜。大きな屋根が見えるので、そこが禅林寺かと思い入ろうとすると鳥居が立っているではないか。「まさか!お寺に鳥居なんて、いくら神仏混交の時代があったとは言えそれはおかしい」などと思いながら鳥居をくぐると、そこは八幡神社の境内だった。なるほどと頷く。神社と寺が隣り合っているのだった。八幡神社の境内は静かで、正門の鳥居の近くに数本の桜が咲き、お花見にはとてもよかった。正門を出て左に進むと「禅林寺前」という交差点があり、そこを左に行くと禅林寺だった。
 禅林寺の門をくぐる。この寺の建物は新しいようだった。左に斎場もある。正面のガラス窓のところに「本日は定休日です」と書かれているのがおもしろかった。お寺に定休日があるのだろうか、と思ってよく見ると、そこはお寺の売店らしく、お線香などを売っているようだ。それが定休日なのだった。
 お寺の裏手に墓地が広がっている。今日の目当てはその墓地だった。ここには森鴎外と太宰治の墓があるのだ。小さな坂道を下って、本堂と庫裏をつなぐらしい廊下の下をくぐると墓地の入り口だ。その入り口の掲示板に、「森鴎外の遺書400円」という紙が張られていたのには驚いた。遺書の複製を売るなんて、遺書まで商売道具にするのだろうか。
 墓地はあまり広くは無いが、整然として落ち着きのあるとても良い雰囲気のところだった。年月を経た墓石のかもし出す雰囲気がいい。新しい墓石もところどころにあるのだが、全体としてはしっとりとしたたたずまいだ。墓石の間を二人のお墓を探してあるく。何か目印のような、小さな看板でもあるのかと思いながら、外側の道を一周したが見つからない。もう一度お墓の入り口の掲示板に戻って見ると、二人のお墓のある場所が書かれていた。その通りに歩いていくと左側に太宰の墓、その斜め前に森家の墓があった。何の目印も無かった。それは故人に対する敬意の表れかもしれない。お墓に看板など必要ないのだから。でも、遺書の複製まで売るお寺なのだが・・・・。
 太宰治の墓は、光沢の無い黒味がかった石で、深く太い字で「太宰治」と掘ってあった。森鴎外のほうは広いスペースの真ん中にあり、「森林太郎の墓」とある。周りに家族のらしい墓石がいくつも立っていた。二人のお墓に手をあわせる。
 墓地の中にも大きな桜の木があって、花は満開だった。来るとき見た築地塀の桜は、この墓地の一番奥に咲いているものだった。誰もいない静かな墓地で見る桜はひと味違った趣だ。
 


2003/4/1(火) 理解を得るのは難しい 
 この間「あい・ねっと」に「図書館問題についてHPで発表するのは数日待ってほしい」と投稿したら、「何も考えずに予算に反対したのか、住民の生活に関わる大事な議案に反対しておいてその理由を考えるのに何週間もかかるのか、無責任極まりない」とのお叱りの投稿をいただいた。これになんとお答えすれば良いのだろうか。もちろん理由無しに予算に反対するわけは無いし、私は本会議でもきちんと反対討論をしている。私は議案に反対するときは極力反対討論をするよう努力してきた。誰かの反対討論があって、それとほぼ同じだったときは討論をしなかったこともあるが、今回のように住民生活に大きな影響のある議題に反対するには、熟慮の上で反対するわけであるから、反対の理由も無しにというのは当らない。
 図書館については、「あい・ねっと」でも様々な憶測が飛び交っている面があるので、「図書館についての私の考えをまとめてHPで発表する」と、先日「あい・ねっと」上に投稿したのだ。発表予定の文章はかなりの長文になってしまったのだが、現在も執筆中である。そこに書き込もうと思った事柄のうち、「各種事業への一般会計からの繰り入れ金」などは、財政課に問い合わせなければ一議員の私のところにはそれを知るだけの資料は無い。予算が否決されて大忙しで暫定予算を組んでいるであろう職員に、あまり迷惑をかけないように、遠慮しながら調査をしているので時間もかかってしまうのだ。
 決して責任逃れのために時間稼ぎをしているのではないのだが、なかなか理解していただけないようである。



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