ひとりごと 2003


2003年 8月


2003/8/31(日) 7777は?
 私のホームページのアクセスカウンターが7752ぐらいの時に7777をゲットした方にプレゼントを差し上げる旨書き込んだのだが、今日現在申し出がない。今の数字は7796。せっかくプレゼントを企画したのだから、7777の方に申し出てほしいのだが。前回5000の時もどなたも申し出て下さらなかった。大したプレゼントはできないが、どなたが見てくださったのか知りたいと思っている。



2003/8/24(日) これぞまさしく木内マジック! 
 昨日の高校野球決勝戦、ついに常総学院が優勝した。木内監督が今年で引退というときに夏の大会で優勝だなんて、これこそ木内マジックというべきだろう。木内監督は「マジックなんかじゃない」と言っておられるようだが、確かにそれまでの努力があってのことだから、マジックと言われるのは不本意かもしれない。それでも、この優勝はマジックと言いたい。たとえドラマとしても、あまりにも出来過ぎているというくらいの結末なのだから。
 キャプテンは木内監督に最後の花を咲かせたいという思いから、負けるのでは・・・という不安で眠れないこともあったという。それほどの思いがあっての優勝なのだと思う。常総学院高校野球部のみなさん、おめでとうございます。

 優勝後、木内監督へのインタビューに次のようなものがあった。
「監督にとって甲子園とはどんな所ですか?」
「甲子園は、来たいと思っている子供を連れてくるところです。私なんかどうでもいい。甲子園は最高の教育の場です。」
「来たいと思う子供を連れてくるところ」という一言に監督の自信と誇りが見えたような気がした。



2003/8/20(水) 我輩は犬である、名前はまだ無い 

 今日八千代町の友人宅から子犬が届いた。友人が車でわざわざ藤代まで連れてきてくださったのだ。ほとんど白っぽくて、耳のあたりがややベージュがかっている。雑種だと言うから病気には強いかもしれない。子犬のしぐさはなんと言ってもかわいらしい。私の足指を噛んだり、手をペロペロなめたり・・・。不思議そうにあたりを見回して、物陰にもぐったり、車の下に入ろうとしたり、とにかくチョロチョロとよく動く。
 ホームセンターに行って、一番小さい首輪を買ってきた。初めて首輪をつけるらしく、ちょっとくすぐったそうな格好をした。首輪とロープをつけて外で遊ぶ。いろんなところを探検していた。
 ところで、問題は名前である。先日から家族で考えているのだが、なかなかピッタリとはいかないのだ。今我が家にいる老犬はロロという名前なのだが、これは「錦の中の仙女」という中国の民話から取ったものだ。さて、今回はどうしようか。息子が大好きなビートルズのジョン・レノンからレノンをもらおうか、エリック・クラプトンからエリックをいただこうか、それとも・・・・。




2003/8/14(木) 肌寒いくらいの雨のお盆 
 朝から雨が降っている。今日は10月中旬の気温だとか、いったい地球はどうなってしまったのだろう。ヨーロッパでは熱波で人が死んでいるし、日本は秋のような涼しさだし。

 雨の中、新盆になる知人の家へお参りに行く。今年の春に亡くなった方が多く、3軒もお参りした。何処の家でもお仏壇に綺麗な飾りがしてあって、お供え物がたくさん上げられていた。
 60代で亡くなられた方のお写真を拝見する。奥様とはずうっと以前からのお付き合いだが、この方には直接お逢いしたことは無かった。お話しの中で、退職したらいろいろなサークルに入って活動しようと楽しみにしていたのに、退職目前で倒れられたことを知る。とても残念だったろう。働き続けて、やっと自分の自由な時間がもてるという矢先に病に倒れられたのだから。それから4年半の闘病生活だったそうだ。亡くなられて3ヶ月余、奥様も今では落ち着かれて、ご自分の生活を充実させておられるご様子に一安心。

 80歳ぐらいで亡くなられたお二人のお参りでは、谷中の長老たちがどんなにこの土地を大事にしていたかを思った。お一人は、十五年ぐらい前のモーテル建設反対運動で一緒に闘った先輩だ。剣道の名人で、モーテル建設を進める暴力団に木刀で立ち向かおうとされたほどの人物だ。勿論、木刀で闘うことは無かったが、「俺はこの谷中を守る為なら相手を切って、自分も死んでもいい」といったこともあったのだ。あの時の凛々しい剣士の姿が忘れられない。飾ってあるお写真はやはり剣道着姿のものだった。静かに合掌する。

 家に戻ると、毎年お互いにお参りに訪れる古くからの親類のおばちゃんが来ていた。この間の選挙では、この家の人たちに大いにお世話になった。そのお礼などを言いながら少しおしゃべりをする。

 家の仏壇に手を合わせる。夏に亡くなった父と母を思う。父は今日が命日だ。前日に棚経に来て下さったお坊さんにお茶を出したのに、翌日には倒れて帰らぬ人となった。前日に私が合宿研修会から帰っていたので、父は「今日は疲れたから上で寝てるから」と2階に上がっていた。お昼に呼びに行くと、父の指先が少し紫色になっていて、殆ど意識の無い状態であった。私は父を抱き、「おとうちゃん、おとうちゃん」と呼び続けた。ちょっと気がついたような感じがしたが、そのまま息を引き取ったのだ。そのときのことをまざまざと思い出した。68歳だった。母に先立たれ、さびしい生活だったろう。私は就職して4年目で、毎日仕事仕事、そして休みには研修だ、合宿だと飛び回っていたのだ。でも、救いは最愛の娘の手の中で逝ったことだ・・・・。そんなことを思い出しながら、自分の部屋で「かわら版」の編集をする。


2003/8/7(木) ヒロシマ市長の平和宣言 
 昨年の8月6日にもすばらしい平和宣言を聞いたが、昨日のそれも心打たれるものだった。何よりもアメリカの核政策をきっちり批判している点がすばらしい。アメリカべったりの今の政治状況の中で、首長がここまできっちりと意見を述べるのはなかなか勇気のいることだろう。さすがはヒロシマ市長である。世界の核保有国のリーダーに是非ヒロシマを訪れて欲しいと訴えている。一度あの記念館を訪れた人は、だれでも核兵器の恐ろしさに身の縮む思いがするだろう。
 ヒロシマ市長に比べて、小泉総理大臣がとても小さく貧弱に感じられた。式典での挨拶も、訴えるものが無く、首相はあの場に座っていること自体場違いに見えた。



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