![]()
4 月
4/24(土) チェルノブイリの子供たち
3月末から日立で保養していたベラルーシの子供たちが、成田への宿として我が家にやってきた。明日は成田から帰国する。一月の滞在で、2センチ以上も背が伸びた子もいる。たいした病気をすることも無く元気に過ごしたと言う。暑いのに荷物がいっぱいだからとセーターを2枚も着込んできたので、早速脱いで袖なしになる。庭で鯉を見たり、ボール投げをしたりして遊んだ。3時過ぎから中学生・高校生が遊びに来てくれたので、その子たちに遊んでもらって大喜び。文庫から持ってきたパズルやブロックで遊んだ。明日は帰国するので、お家の人たちは待ちわびていることだろう。なにしろ7,8歳の子供たちが一ヶ月も知らない国に行っているのだから。この間体内放射能を排出する働きがあると言うビタペクトを服用したので、どのくらい体内放射能が減ったか楽しみである。国に帰ったら測定することになっている。
夕食に作った鮭のフライ、一切れが大きいので食べきれないかと思ったが、どの子もぺロッと平らげてくれて嬉しかった。私の友人が帰りの電車の中(モスクワからミンスクへの電車)で食べるパンをたくさん焼いてきてくれた。おまけにシフォンケーキとチーズケーキまで。私たちもおこぼれにあずかる。子供たちは日立でいろいろなおみやげなどをもらったらしく荷物が多くなっていたので、あちらの空港から電車への乗り換えなどが大変だろうと思った。
今日と明日は藤代の図書館まつりだが、今日はベラルーシの子の世話、明日は子供たちを送り出してから東京で学習会に参加するので、図書館まつりには参加できず残念だ。盛況であることを願っている。
4/17(土) 神戸・奈良・京都
先日行ってきた神戸・奈良・京都の写真をアップすることにした。帰って来てから人質事件が気がかりで、旅行の写真などアップする気になれなかったが、人質の方たちが解放されたので写真を整理してみたのだ。
はじめは神戸の写真。神戸で大学時代のクラス会があったのだが、クラス会は夕方からだったので、神戸の震災の跡を見学した。はじめに亡くなられた方のお名前が書いてある記念碑に手を合わせ、そのあと神戸港に向かった。神戸港には一部に破壊された岸壁が保存されていた。それが1,2の写真である。3は復興した高速道路をバックに旧友と撮ったもの。
このあと「阪神・淡路大震災記念人と防災未来センター」を見学した。はじめにシアターがあり、地震発生により崩壊していくビルや高速道路の様子を映し出していた。音声もCGによる大画面も迫力があって、地震の恐ろしさを実感した。韓国の小学生の団体がきていて、この子達にも驚きだったようだ。シアターを出ると、震災直後の町の様子が再現されていた。家々が重なるように崩れている・・・。どんなに恐ろしかったことか。この下でたくさんの命が失われたのだ。
夜クラス会をして、卒業以来の友人にもたくさん会うことが出来た。お喋りが尽きない。いろいろな話をする中で、次回は関東地区が担当することになり、私も幹事になった。再来年の5月の連休明けに還暦記念のクラス会をすることになる。おお、あと2年で還暦とは・・・・!
一夜明けてクラス会は解散。各自好きなところへ行く。宝塚を見に行く人、神戸在住の友人に会いに行く人、そのまま帰宅する人・・・。私はせっかく関西に出かけたのだからと、ひとりで奈良・京都を回ることにした。そして久しぶりに京都の従兄弟の家に泊まる。
4 石上神宮 山之辺の道への入り口にあたる 以前から行ってみたかった所
4
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
静かで落ち着いた雰囲気がよかった。
5 石上神宮の鳥居
6 石上神宮 門の前
7 石上神宮 本殿
8 白ごう寺 30年ぐらい前に行ってとても気に入っていたお寺。
以前は非常に荒れ果てたお寺であったが、大分整備されて以前の寂しさは無い。
9 元興寺極楽坊 日本で最も古いお寺のひとつで、飛鳥時代の瓦が残っている。
南都七大寺の一つだが中世に没落し、民俗信仰の寺となった。
世界遺産古都奈良の文化財に登録されている。
10 元興寺境内に無数にのこっている石塔・石仏群
11 飛鳥時代の瓦が残っていると言われる行基葺きの屋根。
赤い色の瓦が飛鳥時代のものだという。
12 興福寺 いつ見てもこの五重塔は堂々としている。
13 京都・東福寺の庭園。東福寺は今回が始めての参観である。
こんな大きなお寺とは知らなかった。あまり人も多くなく、静かでとてもよい雰囲気だ。
駅からの道で知り合った人に写真を写してもらう。
14 これも東福寺の庭園。幾何学的な石の配置がおもしろい。コケがふかふかできれいだった。
15 東福寺の通天橋。小さな谷川の上に回廊がかかり、この回廊から庭に出ることができる。
もみじの新緑がとても美しい。紅葉の季節にもう一度来てみたいと思った。
16 東福寺三門。堂々とした姿は見るものを圧倒する。
17 東福寺中門を出たところの枝垂桜。
18 東福寺の塔頭の一つ雪舟寺の庭園。画聖雪舟により築造されたと伝えられている。
ここで抹茶をいただく。
このお寺の大黒さまだろうか、お茶を運んでくださった女の方の京言葉がとても美しかった。
これこそ正統京言葉ではないかと思った。美しい言葉を聴くと心も洗われる感じがする。
この方に泉涌寺への地図を描いていただく。筆でサラサラと描いてくださった。
19 泉涌寺の入り口。広い境内の静かなお寺だ。
泉涌寺の存在は知っていたが、こんなに大きなお寺だとは思わなかった。
20 泉涌寺の霊明殿。桧皮葺の屋根が美しい。
天智天皇以来の歴代天皇の御位牌が安置されていると言う。
21 御座所の庭園。
22 境内のもみじの新緑が美しい。
23 今熊野観音。西国三十三ヶ所観音霊場の第十五番札所。
ここで大きなお葬式か法事が行われるらしく準備がなされていた。
こうした古寺で生きた宗教を見ることは少ないので、とても印象に残った。
古都の一人旅は初めてであったが、ひとりで歩くのもなかなかいいものである。時間がゆっくりと流れて行くような感じだった。今回は人の多く行くところを避けて行ったので、じっくりと拝観することが出来てとてもよかった。
04/16(金) 解 放
昨夜9時前にテレビにテロップが流れ、拉致されていた3人の解放が報じられた。とにかく良かったと胸をなでおろす。アルジャジーラTVの映像によると3人ともとても元気そうだった。ご家族の方もどれほど喜こばれたことか。救出に奔走された方々に心から感謝したい。政府の関係者も頑張ったのだろうが、NGOやジャーナリストの方々の力によるところが大きいと聞く。
3人の家族のところには心無い非難の電話やFAXが相当数届いたそうだが、それにも増して激励するものが多かったという関係者からのメールを読んだ。自己責任論が大分幅を利かせているようだが、日本が自衛隊を派遣しなければこのような拉致事件は起こらなかったのではないだろうか。特にこの3人はイラクの平和のために活動されていた方々なのだから。
それにしても、あと二人の日本人が行方不明になっている。この方々の安否が気がかりだ。
04/13(火) 日本人拉致事件
8日の夜、イラクで日本人3人が拉致されたというニュースを見た。状況もよく飲み込めない中、不安だけが募った。HPに何か書きこまねばと思いながら、何も書けないでいるうちに翌日になり、予定していたクラス会に参加するため、朝から神戸に向かう。人質事件は気になっていたが、クラス会もずっと前からの計画だったので、予定通り参加したのだ。震災の跡にも行ってみたし、記念館にも寄ってきた。そして奈良・京都を回り一昨日の夜帰宅した。
この間、神社や仏閣をいくつか参観したので、そのたびに人質の早期解放を祈っていた。薬師如来・釈迦如来、阿弥陀如来・不動明王・十二神将など、ありとあらゆる神仏に心を込めて祈った。帰りの新幹線の中で、24時間後に解放するというニュースを見て、すこし安心した。そしてしばらくすると「3人は解放された」というテロップが流れた。これは神仏のお陰かなどと思いながら、ほっと胸をなでおろしたのだが・・・・。しかし、家に帰ってみると、人質となった方々の解放はまだであった。あの新幹線のニュースは誤報だったのだ。
現在13日の午後5時少し前であるが、いまだに解放の知らせは無い。いろいろな情報が錯綜し、どれが真実であるか分からないような状態になっている。中にはあの3人は自作自演だという人もいるようだ。私は自作自演などとは思わないが、危機管理が甘かったということは言えるかもしれない。
それにしても自衛隊を派遣した時点で、こうしたことは予見できたのではないか。占領軍に与する軍隊(世界的には自衛隊は軍隊との認識であろう。)を派遣すれば、日本国民へのテロが増えるということは、派遣前から言われていたことである。国家は国民の生命・財産を守る義務があるのだから、一刻も早く救出できるよう、最大限の努力を払ってもらいたい。
そもそも自衛隊の派遣には大儀が無かった。アメリカが喧伝していた大量破壊兵器も今なお発見されていない中で、ファルージャでの戦闘は拡大してきている。今、一時的ながら停戦合意がなされてはいるが、いつまた勃発するか分からない。自衛隊の宿営地の傍にも砲弾が着弾している。つまり、サマーワも戦闘地域なのだ。イラク特措法によれば、自衛隊は非戦闘地域にのみ派遣されることになっている。従って、戦闘地域であるサマーワからの撤退は、テロに屈したと言う形でなく、日本の法律に則って行うことが可能ではないのか。新聞報道によれば民主党の菅代表も「脅された形ではなく、イラク特措法で考えても撤退すべき時期ではないか」と述べているとのこと。党の力を結集して是非小泉首相を説得してもらいたいものだ。
イラクの人々は米軍の占領に命をかけて抵抗している。暫定統治機構は米軍中心だから、イラク国民の多くは反感をもっているというレポートを読んだ。一日も早くイラク人自身に主権を委譲し、国連を中心に支援していく方法に切り替えるべきではないだろうか。
04/05(月) 日本の大量破壊兵器で殺され続ける人々
数日前のことだ。表題のメールを受け取った。ショックだった。日本の残した大量破壊兵器(毒ガス)で、今も殺される続ける人々がいるということに大きなショックを受けた。そんなことも知らなかったのかと言われる方もあるかもしれないが、私たちはこうしたことを殆ど知らされてこなかったと思う。731部隊のことはかなり知られているが、日本が残してきた兵器の問題はあまり語られてこなかったのではないだろうか。日本は先の大戦で毒ガスをはじめとする大量の兵器を中国東北部に残してきた。このことは私も知っていたが、その毒ガスや砲弾などによって、今も多くの中国人が傷つき死んでいくということまでは知らなかったのだ。
毒ガスがどこに捨てられているか分からないことが大きな問題となっている。今この問題についてのドキュメンタリー映画が作られているそうだが、その作者は、被害者とその家族から「わたしたちはこれからもこの町で生きていかなければならないのです。どこにどれだけの毒ガスを捨てたのか教えてください。」と言われたそうだ。90年代から一部の化学兵器の処理を日本政府が始めたのだが、情報がなく十分な処置が出来ていないという。
昨年、神栖町や神奈川県の寒川などで旧日本軍の毒ガスによる被害が表面化し問題になった。政府はこの問題については調査を始めている。しかし、中国に捨ててきた大量の毒ガスについての調査は行われていないのが実情だ。これでは真の日中友好など出来るわけが無い。一刻も早くこれらの毒ガスの情報を収集し、わが国の責任で廃棄処理をしなければならないと思った。
しかし、私のような一市民に何ができるのだろう。そのことをここ数日考えていた。今私に出来ることは、日本の残してきた毒ガスなどによって今も殺され続ける人がいることを、少しでも多くの人に知らせ、自分の問題として考えてもらうきっかけを作ること、政府に対して誠実な対応を求めることぐらいしかないのではないだろうか。このメールの送り手は、環境省に対して海外の毒ガス調査をするようメールで要請することを求めている。私も早速メールを送った。一個人のメールを環境省がどれだけ見てくれるか分からないが、こうしたメールが全国から集まってくれば、ひとつの力になるのではないだろうか。現在製作中のドキュメンタリー映画は、5月末に完成の予定だそうだ。これが出来たとき、藤代でも上映できるよう努力をしてみたい。