北 京 第 一 日

−天安門と景山公園−

8月16日

北京到着 朝7時にホテルを発って昆明空港へ。空港へはホテルの車で送ってくれて、チェックインなどの手続きも全てホテルの方がやってくださった。至れり尽くせりとは正にこのことである。
 出発前、マオさんたち一行はこのまま帰国する便を探したのだが、お盆休みの混雑で飛行機の切符がとれず、二日ほど北京に滞在することになってしまった。おかげで北京観光も出来ることになっていた。
 昆明から北京へは約3時間の飛行。北京空港に着くと、今度は大荷物を自分で運ばなければならなくなった。空港には許さんの弟さん(許謙さん)が出迎えてくれた。彼の車は5人乗りなので、大きなワゴン車を借りて迎えに来てくれたのだ。まず空港近くのホテルへ荷物を置きに行き、ホテル内のレストランで昼食をとる。広東料理を謙さんが選んでくれた。今までの麗江のお料理とは一味違って、都会的に洗練されている感じだった。
 謙さんは中村さんの足のことを考えて、ホテルに車椅子を予約してくれていた。その車椅子は新品のようで、ピカピカしていた。車椅子を積んで市内見学に出かける。

天安門と景山公園 謙さんは16日と17日の二日間私たちを案内してくれた。彼は建設会社を経営する若き実業家で、ビルを建設して主に外国人相手にそれを販売しているのだそうだ。社長なので、平日でも時間を作って私たちを案内してくれることが出来るのだ。謙さんは7月中旬から一月ほどお姉さん(許春燕さん)のところを拠点にして日本を旅行したばかりだ。その時中村さんの招待でディズニーランドに行っている。
 途中で彼の知り合いの日本語の上手な女の人を誘って一緒に案内してくれた。彼女は東大の大学院に留学中だという。日本語は本当に上手だった。中国人特有の日本語でなく、日本人の発音に近いきれいな日本語だ。
 
 はじめに天安門広場に行く。広場にはたくさんの人がいたが、中に凧揚げをしているひとがいた。凧揚げをしているのは北京の人で、それ以外は殆どが地方から出てきた人だそうだ。連凧がきれいにあがっていた。北京の真ん中で凧揚げとは優雅なものだと思ったが、この広場は100万人も入る大きな広場で、そこには電柱が一本もないので、凧揚げには適しているのだ。

 天安門広場の付近は駐車が出来ないので、私たちは道沿いに下ろしてもらって、謙さんはしばらく車を走らせながら待っていてくれた。
 天安門に上ることができるので、田中さんだけが上ることになった。私は以前に上っているので、皆と下で待っていた。天安門に上ると市内がよく見える。田中さんの話によると、門に入るには全ての荷物を預けるのだそうだ。以前はそんなことは無かった。どうも9.11以後テロを警戒してそのような措置をとっているらしい。天安門の上は工事中で、中の部屋は殆ど見られなかったそうだ。今年の10月1日は建国55周年の国慶節なので、それに備えての工事だとのこと。

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 広場から天安門へは大きな通りを横切らなければならない。片側4車線ぐらいの大通りだ。とても道路上では横切れないので、地下道がある。その地下道に一人の女の人が横たわって物乞いをしていた。そういう人を見ると黙って通り過ぎることの出来ないマオさんは、彼女に100元を渡した。普通はこうした人には1元ぐらいをあげるそうだが。北京市内で物乞いする人を見たのはこれで二人目だ。地下道は車椅子では出入りがしにくかった。
*写真の説明
写真1 前列:中村さん、後列:左から許さん、マオさん、私、田中さん


 天安門から景山に回る。景山は故宮の北側にある人工の山である。
この山は北海公園の北海を掘った土で作ったとか、故宮が地下から攻められないように、地下深く掘ってその上にレンガを敷き詰めてあるのだが、その時の土を盛り上げたとか、故宮の外堀を掘った土だとかいろいろな説があるようだが、とにかく人工の山なのだ。高さは43メートルだとか。これだけの山を作るのにどれほどの人手が要ったのだろうか。皇帝の権力がいかに強大であったかがうかがわれる。田中さん、マオさん、許さん、私の四人は景山の頂にある万春亭に登った。マオさんはちょっと体調がすぐれないので、登ろうかどうしようかまよったのだが、頑張って登ることにしたのだ。田中さんは難なく登っていく。頂上からの眺めは素晴らしい。許さんは万春亭の北側の屋根を見て、「あれが故宮」と言ってしまった。万春亭を一周すると南側に黄金色の屋根が数え切れないほど連なっている。これが故宮なのだ。許さんはそれに気づいて「ごめんなさい、間違えた。ダメなガイドでごめんね。」と平謝り。みんなで大笑いをした。この何百と連なる屋根こそ「ラストエンペラー」のロケの舞台にもなった紫禁城なのである。


景山公園を出て、ホテルに戻る。この車中で、マオさんが「柔ちゃんがどうなったか気になるのよ。研君に電話して聞いてくれない?」と言って、彼女の携帯電話を渡してきたので、研に電話をしてみる。ちょうど良く研が出たので、オリンピックの様子を聞くと、柔ちゃんは優勝したという。それだけでなく、野村選手がオリンピック三連覇、水泳の北島選手も金メダルということを知った。みんな大喜びだった。

許さんの家 この日は私を除く三人はホテルに宿泊し、私は許さんの家に泊めてもらった。はじめて中国人の友人の家を訪れたのだ。前回北京に行ったとき(12年前)はホテルばかりだったので、北京の普通の家に行ってみたかったのだ。
 許さんの家は北京物資大学の構内にある。教員専用のマンションだ。まだ新しく、新築して2年目だという。学校と国と住人が資金を出し合って建てたそうだ。それ故、所有権があっても売買はできない。だが、定年退職後も住み続けることは出来るし、子どもに相続させることも出来るそうだ。
 許さんの家は3LDKだが、日本の普通の3LDKのマンションよりは広く出来ている。一部屋ずつが広いのだ。ベッドを置く生活だからかもしれない。

 許さんのお姑さんは、話し好きの気さくな方らしく、盛んに私に話しかけてくださるのだが、許さんがいなければ話は通じないので、二人で顔を見合わせて笑うばかりだった。

 この日は許さんの親類の娘さんも来ていて、一緒に泊まった。許さんのお姑さんがギョウザを作って待っていてくださった。手作りのギョウザはとてもおいしい。この日はちょっと塩味が効きすぎたといっておられたが、それでもおいしかった。
*写真の説明 左から許さんの娘さん(ティユンティユンちゃん 13歳)、ティユンティユンちゃんの従姉妹、お連れ合いのお母さん、私、許さん ここが許さんの家の居間



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