コロッケ作り

−北京二日目−

8月17日

約束 この日の夕食は私がコロッケを作ることになっていた。中国では「パン粉をつけて揚げる」という料理が無く、許さんのお嬢さんのティユンティユンちゃんが日本に来たとき、我が家で食べたコロッケをとても気に入ってくれたので、中国で作ってあげると約束していたからだ。ウーさんの子ども達も、我が家でコロッケを食べて気に入っている。私はティユンティユンちゃんとの約束を果たすために日本からお土産としてパン粉とソースを持って行ったのだ。ソースは中国でも買えるが、パン粉は見たことがないと聞いていたからである。コロッケと言っても特に変わったものではなく、ごく普通のジャガイモのコロッケだ。はじめ、ウーさんの家と許さんの家で作る予定だったが、2回作るのは大変だと言うことで、ウーさんの家で一緒に作ることになった。

ウーさん ウーさんは我が家にとって初めての中国人の友だちである。初めて出会ったのは1988年、天安門事件の前年のことだ。茨城県の国際交流事業の一環として、県内の留学生と交流しませんかという呼びかけがあったのに応じたのだ。それ以来16年の付き合いである。彼はその後も何度も日本に来ているし、一度は家族訪問で三ヶ月ほど奥さんと子どもを日本に呼んだことがある。その時我が家の「谷中子ども文庫」で生活したのだ。だから奥さんも子ども達もよく知っている。今年の5月にも、日本で研究中のウーさんを訪ねてきた家族が、我が家に来てくれたのだ。私の中国人の友人達はみなウーさんの紹介による。彼は今46歳で、北京物資大学の学部長をしている。つまり許さんにとっては上司にあたるのだ。そのほかいろいろな肩書きがあるらしく、とても忙しい毎日を送っている。出発前に連絡したときは、私の北京滞在中は予定を空けてあると言ってくれていたのだが、断れない出張が入って、この日も成都で講演があったそうだ。彼は中国における物流の第一人者で、去年から今年の初夏にかけて日本で研究していた時も、郵政公社で講演をしたりして忙しい日々を送っていた。中国では物流の権威者なのだが、我が家ではすっかり私達夫婦の弟分である。16年間付き合ってきて、いつも誠実で人の心を大事にする人だということが分かっている。その上頭も良くて仕事熱心で自慢の弟なのだ。12日に北京に着いたとき迎えに来てくれた彼と私の様子を見て、マオさんが「とってもいい関係ね。」と言ってくれた。

コロッケ作り 話をコロッケ作りに戻そう。材料は昨日のうちに許さんがウーさんの奥さん(劉芳)に頼んで用意しておいてくれた。許さんとティユンティユンちゃんそれに従姉妹の女の子の4人で、パン粉とソースを持ってウーさんの家に行く。電話をしておいたので、劉芳とウーインが階下まで迎えに出てくれていた。ウーさんのマンションは6階建ての最上階だ。階段を登っていったらフウフウ言ってしまった。ウーさんの家は2階建て形式になっていてかなり広い。日本の普通のマンションの2倍以上はありそうだ。4LDKのリビングは30畳ぐらいに見えた。
 一休みして作業に取り掛かる。ジャガイモは劉芳が茹でておいてくれたので、皮をむいてつぶした。ちょっとベタベタ型の芋だったので、出来具合が心配だったが、結構おいしく出来た。小判型に丸めてパン粉をつける作業を劉芳は面白がってやった。子供達も手伝うはずだったのだが、3人で遊び始めてしまったので、大人3人で作った。
 出来上がった頃飛行機の音がしたので、劉芳はウーさんの書斎の窓から空を見上げて、「あっ、今飛行機が着いたからウーさんが帰ってくる!」と言った。(勿論中国語なので、許さんに通訳してもらったのだが。)間もなくウーさんから電話で、もうすぐ帰ると言ってきた。本当にさっきの飛行機だったのかもしれない。
 ウーさんが帰って来たので食事を始める。コロッケと劉芳の手料理だ。ウーさんは「小泉さんが来るので、劉芳は本を見たりしてお料理を練習したんだよ。」と種明かしをしてくれた。みんなそろって楽しいひと時となる。食事風景をビデオに撮ったとき、劉芳は大きな口を開いて、笑いながらパクリとコロッケを口に入れた。劉芳はそんなおおらかな人柄だ。ウーロンとウーさんのお母さん、それに許さんのお連れ合いとそのお母さんが一緒だったらなお良かったのだが。

ビデオ 夕食後、麗江で撮ってきたビデオを見る。ウーさんの家はビデオやパソコンなどの電気製品がそろっている。彼は機械が大好きなのだ。日本にいるときも原付で龍ヶ崎から秋葉原まで出かけるくらいだった。麗江の古い家で許さんがナシ族の服を着たのを見てウーさんがニコニコしていた。

引越し ビデオを見てから、許さんの家に戻ろうとしたら、ウーさんが今夜はウーさんの家に泊まらなければ駄目だと言う。許さんもそれならそうした方がいいと言うので、夜中に許さんの家へ荷物を取りに行く。お母さんはもうお休みになっていたので、ご挨拶もせずに引っ越してしまった。このことが今でも心残りである。あんなに親密にしてくださったお母さんに、ひとこともご挨拶せずに来てしまったのは、やっぱりまずかったと思っている。



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