
麗江の古い家
8月14日
記念写真 ホテルを8時半に出て、愛莉さんの家に行く。愛莉さんの家で朝食。朝食は今までのご馳走に比べて質素で、やっと普通の食事になった感じだった。赤いお米のお粥、これは昔は宮廷でしか食べられなかったそうだが、今は庶民の口にも入ると言っていた。特に変わった味ではない。赤飯をお粥にしたような感じだ。牛乳、ゆで卵、野菜の炒め物、小麦粉で作った揚げパンのようなものなど。私は薄い塩味のこの揚げパンのようなものが気に入った。
食事の後、愛莉さんの家の前で記念写真を撮った。左の写真について説明しよう。前列が今回の主人公、中村梅さんとひ孫ちゃん。このひ孫ちゃんは美娜さんの義理の娘さんの子どもである。美娜さんは女の子が一人ある男性と結婚した。その女の子を自分の子どもと同じに育てたと親戚の人たちが口をそろえて言っていた。美娜さんはとても優しい性格の人だという。
後列左から和佳さん(愛莉さんの従兄弟である和集量さんの娘、昆明の師範大学を出て、この九月から日本語教師になるという。日本語がペラペラのお嬢さん)、美娜さんの夫、美娜さん、愛莉さん、愛莉さんの夫の姚さん、美娜さんの息子さんで、昆明のデザイン学校を卒業した申亮君。右の写真は、この家族に更に親戚の方や近所の方が入ったもの。
古い家へ 写真を撮り終わって、車で梅さんが昔住んでいた街中の古い家に向かう。愛莉さんの家からは少し離れたところだ。ここは世界遺産に指定されている麗江古城の一部となっている。その古い町の中へは車が入れないので、入り口で車を降りる。そこから石畳の古い道を約300メートルぐらい下ったところが、昔梅さんが暮らした家だ。
その石畳の道に入ったら、色々な人がやってきて私たち一行を取り囲む。みな今日のために来てくれた親戚の人、昔の知人達だった。来るわ来るわ、本当に何十人と言う人が集まってきた。昨日、「あしたは親戚が60人ぐらい集まる」とは聞かされていたが、まさかこれほどとは思わなかった。みんなとても親しく寄ってきて、梅さんの手を握ったり肩を抱いたり・・・・。300メートル進むのに相当時間がかかるほどだった。テレビカメラも取材に来ていた。
やっと昔の家の前に着く。梅さんはさすがに感慨無量という感じだった。門の中は、昔の北京にもあったような、中庭を真ん中に四方に部屋を配した建物だった。古びた扉には透かし彫りの彫刻が施されている。庭は畳二十畳ぐらいだろうか、真ん中に木が植わっていて、そこにビーチパラソル、その下に椅子とテーブルが置かれていた。その部屋部屋と中庭に入りきれないほどの人が集まって、私たちを迎えてくれた。
この家の中庭で食事をする。みんなは入れないので、近くの会場を取って、そこで食事をしたそうだ。どこかで作ってきたものを次々に運んできてくれて、私たちはまたまた食べきれないほどのご馳走ぜめだった。
ここにナシ族の服装をしたおばあさが何人か来ていたので、私がその服装を「きれいですね」と褒めると、「着てみるか?」と言われた。こんなチャンスは二度とないと思ったので、「着てみたい」と言うと、どこかからナシ族の衣装を持ってきてくれた。まず私が着る。その姿をビデオで撮り、写真も写したのだが、残念ながら私のカメラではなかったので、今はその写真が無い。アップしたいところなのだが。
私の後に皆次々と衣装を着けた。許さんのために若い娘さん用の衣装を持ってきてくれたので、許さんと和佳さんがそれを着る。次にマオさんまで若い娘用の衣装を着たので、私と田中さんで「ずるいずるい」と言って笑った。

ナシ族の衣装の
梅さん |

梅さんと娘達 |

ナシ族の衣装の
許さん |
ここで、梅さんは花束をもらい、娘達と一緒に写真をとった。どんなに嬉しかったことだろう。この家にきたら、梅さんは色々なことを思い出した。この部屋に自分は暮らしていたとか、あちらには兄さん夫婦がいたとか・・・・。
ここに来た翌日に国民党の兵士だった夫の和さんは逮捕されて連行されてしまったのだそうだ。見ず知らずの土地で、言葉も殆ど通じない中、二人の子どもを抱えての生活はさぞ大変だったろう。梅さんはここで三女の美娜さんを産んだのだ。
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