世界遺産公園


8月15日

私が一番苦労した 朝食を食べながら今日の予定などを話し合っていた。そのあと誰かが美娜さんの運命を思い、「美娜さんが一番苦労したのね。」と言ったときだ。愛莉さんが目に涙をためて、「一番苦労したのは私よ!」と語気を強めて言ったのである。その時の彼女の顔は一瞬引きつっていた。長年の苦労がこみ上げてきたのだろう。みんなが美娜さんの運命にばかり同情するのが許せなかったのかもしれない。
 美娜さんは本当に数奇な運命の持ち主なのだ。赤ん坊のとき梅さんの背中から奪い取るようにして中国に残されたのだという。梅さんは日本人が重慶に終結するよう命じられたときも、中国に残りたいと言ったのだそうだ。それでも日本人は日本へ帰れと言われ、帰らざるを得なかった。その時乳飲み子だった美娜さんだけでも連れて帰りたいと、重慶までおぶって行ったのだそうだ。重慶では、「子どもは中国人だから置いていけ」と無理やり背中から取り上げられてしまったのだ。そんなわけで美娜さんは重慶の孤児院で育った。孤児院ではいじめも無く食料が足りないと言うようなことも無くて、楽しく暮らしたと言っている。その後中国人の養女になって、和美娜とはまったく別の名前で生活していた。25歳になったとき、父親がやっと美娜さんの所在を探し当て、家に帰るように言ってきたのだそうだ。美娜さんはこのとき初めて自分が誰なのかを知り、一週間かけて重慶から麗江まで一人で帰ったのだ。だが、自分を探し当ててくれた父親は、娘を探し当てた嬉しさで心臓発作を起こし、彼女が麗江に着く一日前に亡くなってしまった。結局美娜さんは父親に会うことが出来なかった。帰ってすぐ父親の葬儀に参列したのだそうだ。この話を聞いたとき、何たる運命だろうかと耳を疑うほどであった。
 でも美娜さんの父親は喜びの中で亡くなったのだと麗江の人たちは言っている。だから悲しむことは無いと。そういうわけで、美娜さんは今回中村さんに会うまで本当の親を知らなかったのだ。52歳にして今回初めて親の顔を見たのである。
 こういう美娜さんの運命にみな思いを寄せ、同情していた。それが愛莉さんには辛いことだったのだろう。はじめは父親が連行されて不在、母は日本に連れて行かれ、親類の中に姉と二人残されたのだ。(このお姉さんは出産の時に亡くなってしまった。)このとき愛莉さんは三歳ぐらいだった。いくら親戚の人が優しくしてくれても、親のいない二人はどんなに寂しく辛かったことか。のちに父親は帰って来たが、文革の時は日本人の血を引いていると言うことで辛い思いをしたことだろう。文革のことは麗江では誰も言わなかったが、北京で中国人の友人が「日本人の子どもでは文革のとき辛かったろう。」と言っていた。そうした思いがこみ上げて「私が一番苦労した」という言葉になったのではないだろうか。この一言にそこにいた人は皆しゅんとなってしまった。

世界遺産公園 朝食が済むとすぐ家を出て、「世界遺産公園」に向かう。なんだか雲南省の偉い人がこの公園に来るとかで、その前に入ってしまいたいのだと言っていた。この公園は世界遺産に指定されたのを記念して作られたもので、開園して2年ぐらいの新しい公園だった。かなりの広さである。梅さんはどうするのだろうと心配していたら、姚さんがちゃんと10人乗りぐらいのカートを手配してくれていた。運転手と案内人も付いている。

 この公園は麗江近辺の観光地をミニチュアにして集めたもので、精巧な模型となっているそうだ。
一度は本物を見たかった玉龍雪山の模型もあった。麗江は天候が変わりやすく、一日に二、三回は雨がパラつく。空は雲があって、玉龍雪山はなかなか姿を現さないらしい。私たちの滞在中にはその姿を見せてはくれなかった。標高5596mの堂々たる山で、未だに登頂した人はいないと言われている。模型の頂上付近は万年雪で覆われていた。本物はさぞ素晴らしいだろうと想像するのみである。私はまだ5000m級の山を見たことが無い。この山の姿を見られなかったのは本当に残念だ。この山はナシ族の神々が住む聖なる山である。植物の宝庫ともいわれ、今も研究者たちが多く訪れるそうだ。本物は見られなかったが、模型の前で記念写真を撮った。

 公園内にはきれいな花が咲きそろっていた。公園脇の温室で育て、それを移植するのだという。ここは高地であって日差しが強いため、花の色彩が鮮やかなのだという説明であった。そういわれてみれば花の大きさも少し大きく、色もはっきりしているように感じた。

インタビュー カートに乗っていろいろな観光地の模型を見て回っていると、テレビ局の人が取材に来た。あとでマオさんのインタビューをしたいと言う。一回りしてからVIP用の休憩室に案内された。私たちは休憩していて、その間にマオさんがインタビューを受ける。通訳は和佳さんになる。許さんが和佳さんを推薦したのだ。和佳さんはテレビに出るなどと思ってもいなかったので、はじめは辞退したのだが、結局引き受けることになった。ドキドキしながら通訳をする。とても立派に出来たように思われた。このテレビは後日放送になるようだが、そのビデをもらいたいとマオさんが要望した。なぜ美娜さんや愛莉さんのインタビューをしないでマオさんのインタビューなのだろうと思ったら、美娜さんたちのは既に放送されたのだそうだ。この問題は既に何度か放送されているのだとか。



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