
麗江を発つ
8月15日
お土産を 世界遺産公園の見学を終えて、和佳さんの家でお昼をご馳走になる。和佳さんのお父さんは和集量さんといって、梅さんがたった1枚残していた手紙に名前の出てくる人物(愛莉さん美娜さんの従兄弟)である。ここでも大変なご馳走であった。
そのあともう少しお土産を買おうということで街へ出る。ここはヒスイの産地なので、ヒスイを買いたいと中村さんが言っていたからだ。お土産屋のは品質が保証されないので、申亮君が宝石店に案内してくれた。立派な構えのお店で、いろいろな宝石が並んでいる中にヒスイのコーナーがあった。梅さんが親類の人に贈ると言うペンダントヘッドを見る。はじめ4800元と書かれていた。そこで例の交渉が始まる。許さん、和佳さん、春情夕刊の記者さんが総出で交渉してくれた。それで約半額となる。その時申亮君登場。「高いから他所へ行こう。」と。とたんにまた値が下がる。結局約三分の一で買うことが出来た。
中国では観光ツァーのガイドがこうした店に案内すると、かなりのバックマージンがあるのだそうだ。多くのガイドは給料が安く、こうしたバックマージンによって生活を維持しているのだという。申亮君も以前アルバイトでガイドをしたことがあり、こうした経緯を知っていたので、最後の一言になったのだそうだ。
そのあと干しマツタケを買いに行く。日本にいるときインターネットで調べたら、日本人には干しマツタケが喜ばれるというのを見たからだ。スーパーマーケットで買ったほうが安いし、品物も確かだというので、申亮君がスーパーへ案内してくれた。マオさん、田中さん、私の3人が十数袋ずつ買ったら、そのスーパーのマツタケは殆どそこをついてしまった。マツタケの袋は重くはないが、お土産の量がぐっと増えてしまった。
お土産も買ったので、愛莉さんの家に戻り荷物の整理をする。私は小さいスーツケース一つで麗江に来たのに、麗江の人たちからナシ族の織物や雲南名物のお茶などをいただいた上にマツタケのお土産を買ったので、段ボール箱ひとつ分の荷物が増えてしまった。マオさんは愛莉さんたちへのお土産が減ったところに日本へのお土産を入れたので、ちょうど来たときと同じぐらいの荷物になった。
荷物整理も終わって一休み。そのあとまた夕食をいただく。もう食べられないと思ったのに、親戚の方が用意してくださったので、そこでご馳走になった。
別れ 夜8時の飛行機で昆明へ戻ることになっていたので、6時ごろ麗江空港に向かった。中国は全土が北京時間なので、地球上の時差と、使われている時間の間に差がある感じがした。麗江と北京では本来なら1時間か2時間ぐらいの時差があるはずだと思う。そんな関係で時刻は8時でもまだ明るかった。
空港へは大勢の方が見送ってくださった。大きなバスを1台借り切っての見送りである。そのほかに車が2台。空港に着くとVIP待遇で特別の待合室に案内された。普通はチェックイン後は見送りの人は入れないのだが、この日は愛莉さん、美娜さん、姚さん、和佳さん、それにひ孫ちゃんふたりが特別待合室まで来て見送ってくれた。
愛莉さんたちと梅さんは51年ぶりに会ったのだが、ここでまた別れることになった。梅さんは娘たちを来年日本に招待する約束をして別れた。
これで今回の中国旅行の目的は達成した。51年ぶりの親子対面は無事に済んだのである。梅さんも、愛莉さん、美娜さん、マオさんも、心に様々な思いがあるだろう。こうして親子の対面が出来たのは許さんの力によるところが大きい。素晴らしい人を紹介できて、私も少しはお役に立てたのだと思う。
昆明へ 飛行機は一時間足らずで昆明に到着した。私たちが一番おそく降りていくと、今降りた飛行機の操縦士が歩いていて、「新聞見ましたよ。今の飛行機、私が操縦していました。」と言って私たちの手荷物を持ってくださった。自分の乗った飛行機の操縦士に荷物を持ってもらうなどということは二度と無いにちがいない。
昆明のホテルは、来たときに歓迎してくれたホテルで、空港まで職員が出迎えてくれた。「春城夕刊」からも記者が二人、今日の新聞を持ってきてくれていた。
車でホテルまで送ってもらう。このホテルでは、今回は宿泊費を無料にしてくれた。すべて「中日友好のため」だそうである。感謝、感謝。ホテルで再度荷物の整理をする。
翌朝の北京行きの飛行機が早いので、早く休むつもりだったが、許さんと同室でいろいろしゃべってしまい、寝るのは遅くなってしまった。