ビタペクトを製造しているベルラドの経緯

      フランスのNGO Enfants Tchernobyl Belarus の Appeal to Belrad から

                                                  久保田 護

 ミンスクのInstitute of Radiation Ssfety 放射線安全研究所 Belrad を相手にビタペクトプロジェクトを始めてから4年目になります。ベルラド所長のネステレンコ教授はベラルーシ科学アカデミー核エネルギー研究所の所長でしたが1987年に解職されました。原発から100km以内の住民の急遽退去を主張し世間を騒がすとされたのです。国立の研究所を去り、アンドレイ・サハロフ(水爆の父)の協力を得て1990年にベルラドを創立し、放射能汚染地域に検査センターを370箇所設け、放射能防護法の教育を始めました。

 このセンターは国のチェルノブイリ委員会から資金を得ていましたが、Health Ministry(厚生省)のアトミックロビーAIEA、WHO 同調者の圧力で今も活動しているのは60だけになり、そのうち20は西欧のNGO資金に頼っています。